ねここねの思考手記

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【神アニメ】トップをねらえ! から学んだ才能という概念の存在



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 過去の名作と呼ばれるアニメの中で、今だにこれが一番好きだという人も珍しくない。スペシャルな作品。トップをねらえ! 最終回の解釈の違いで、色々と物議をかもしたり、その裏に隠れた膨大な設定等、トップをねらえ!好きが集まれば、一夜でも二夜でも話しが止まらない。それほどにファンに愛されたこの作品なのだけれど、私がこのアニメを見て一番引き込まれたというか、「ああ、そうだなー」と学ばせてもらったのは、才能という言葉の理解というところです。ストーリー的には話しの序盤であり、物語の根幹をなす、努力と根性という概念を素直に肯定するためにあったシーンのひとつであったとは思うのだけれど、今だに、そのシーンを見るたびに、たゆまぬ努力というものが素晴らしく意味のあるものであり、生きていく上で大事なことを教えてくれます。

 

 ということで、長い前置きですが今日は才能というものを概念的に理解しようって記事です。


 このアニメの中では、宇宙怪獣という謎の生物が人類の生存を脅かすという設定もとに、それに対抗するため宇宙軍が創設されているのですが、その宇宙怪獣と対決するためにマシン兵器を操るパイロット養成所というものがあります。その養成所の中で選ばれた人間だけが、宇宙にいって宇宙怪獣と戦うことが出来るというものです。

 その選抜される枠というものは2枠しかありません。1人は自他共に認められ学年主席の成績を持つアマノ・カズミというキャラが選ばれます。 当然次に選ばれるのは学年次席に相当するものが選ばれるものと思っていたところに、主人公のタカヤ・ノリコという、運動は得意だけど、マシン兵器を扱うのは苦手という女の子が選ばれてしまいます。

 そこで、実力もないものが、選ばれるというような状況が生まれるわけです。その状況に苦悶するタカヤ・ノリコは、選んでくれたコーチと呼ばれる選抜学生を決定する権利を持つ人間に、「私、才能なんかありません、絶対にありません、見込みありません、みんなも贔屓で選ばたといっています。今すぐ辞めさせて欲しい」と嘆願します。

 しかし、大田コーチは一蹴します。

 「言いたいことはそれだけか! おれについてこい」と見せたいものがあるという感じで日高のり子を外に連れ出します。

 そこで、タカヤ・ノリコが見たものは、全校生徒の憧れであり、選抜学生の1人アマノ・カズミが鉄下駄をはいて階段を必死に上がってるシーンでした。 

 それを見て、感動するのり子に大田コーチがこう話します。

 確かに、アマノには素質がある、だがそれ以上にあいつの才能を形づくっているのは、アイツ自身の努力だ! 確かに、お前には才能がない、努力のぶんがすっぽりと抜けているからだ、しかし、お前には素質がある。だから選んだ! タカヤ、努力しろ、才能を磨け、他を頼るな、いいか、自らの全身で感じ、頭で考え、心で判断しろ。宇宙で頼れるのは自分だけだ!


 タカヤ・ノリコはこの言を受けてコーチを信じ、努力して能力を発展させいくことになるわけです。


 このように、”才能”というものと”素質”というものを、きっちりと分けて説明されると、才能というのは能力向上の結果であり、そう簡単に手に入るものではない。確かに、人間に向き不向きというはあるのだけれど、全ては努力してからの話しですよ。 だから、まずやってみよう! そんな前向きなことを教えてもらえた作品が、僕の中でのトップをねらえ! という作品でした。

 そいうことを、分かったうえで才能という言葉を使うのであれば、なんだか悪い気もしないでもないですね。


 日本語って難しいですね。

トップをねらえ! Blu-ray Box

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