ねここねの思考手記

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【神アニメ】十二国記から学んだ人生で大切なこと 自己を正当化することの大切さ!


 最近、自己を正当化するコトって結構大切だなーって思う。ねここねです。



 自分の言ってるコトや、行動にたいして自分の中で正当化できてないと、周りに良いと言われても、それが結果として良い方向に向かったとしても、良いコトをしたと思うけど、納得できないという自己ラビリンスに陥って、言ったコトや行動の後に責任をとれなくなったり、継続できないっていうコトがあったりします。

 え?

 何言ってるか分かんない?

 自己を正当化できないと、その後の行動に矛盾が生じる場合があるってコトです。

 
 例えば、身体を鍛えたいと思ったとします。 

 そんで身体を鍛えるんだけど、鍛えた身体の使い道や鍛える意味が自分の中ではっきりしないと、そのうち身体を鍛えるのを辞めてしまうというコトです。(でも思いだけは残ったり)

 そんでも、周りが身体は鍛えた方がいいよー とか 鍛えたコトで何かの役にたったとしても、身体を鍛えている意味が自分の中で納得できないと、やっぱり意味ねーなーとかなってしまうという症状のコトです。


 この状態を自己の正当化ができてないという状態だと僕は思ったりします。
 

 そういうコトを思った時に十二国記の月渓(げっけい)おじさんを思い出したました。



 この人知ってる人は知ってるという、十二国記というアニメの中でいいおじさんトップ5に入るという伝説のおじさんです。

 ただ、とんでもなくメンドくさい性格の綺麗な「良いおじさん」です。理由は今から長文で語ります。

 こっからは仮の話ね。あくまで仮よ、仮ね。(十二国記の小説とアニメ両方とも知らない人向けに書いてる)



 このおじさんはですね。国の偉い人なんです。日本国で言えば 名古屋の都知事ぐらいエライ人なんですよ。


 んで、仮に日本国の総理の権力がデカくなって、そんで暴走して国民を虐げるような感じになったとします。


 例えば「万引きしただけで死刑」とか、「仕事休んだら死刑」とか「ゴミをポイ捨てしたら死刑」とか、そういう国民にとっても厳しいルールを強いるような感じになったら「許さん!」ってなって総理の首をとってくるような過激派で実力派な人なワケですよ。


 このおじさんはすごいんです。


 でも、このおじさんは、総理が大好きなんですね。総理は厳しいルールを国民に強いるけど、自分もルールを守るから、国民も守れよ! っていう方で凄く清廉潔白な人なんです。

 おじさんも、そんな総理の姿に惹かれるけど、現状国民が総理を恨んでるし、恨まれてしまう総理なんて「嫌いだー」ってなってアニメの中では総理を弑すワケですよ。


 そんで、その後に総理の変わりを務めてくれないか? って周りから頼まれるんですけど、断るんです。


 自分は国民のためにやったワケじゃない。自分の好きな総理がどんどん国民に嫌わていくのが許せなかった。その好きだった総理がこれ以上国民に嫌われるコトは自分にとって辛く限界だったから殺した。 そんな自分が総理の変わりに国を修めるなんて出来るワケがないと言うわけです。

 自分のやったコトは完全に私情であり、それを正当化するコトが出来ないという状況ですね。どんな事情があっても人を殺して正当化するなんてコトは難しいですけどね。


 「万引きしただけで死刑」とか、「仕事休んだら死刑」とか「ゴミをポイ捨てしたら死刑」とかのルールだと国民は死に絶えてしまいますと総理にこのおじさんは言うんですけど、いや、それは認められない、ルールが守れんなら更なる厳しいルールを設定する必要があるとか言うワケですよ。

 言うなら「廊下走ったら死刑」とか「寝坊したら死刑」とか「嘘ついたら死刑」ぐらいに苛烈なルールにしようとするワケですよ。

 そんなコトしたら、ますます総理は国民を恨みますよね。

 そんな総理を見ていられないとなったこのおじさんは総理を殺してしまうワケです。

 国民は総理が死んで大歓喜です。これで糞ルールがなくなった。 やったー俺たちは救われたー。おじさんありがとう! そんで総理の変わりやってよーって言うんですけど。

 おじさんは、自分を正当化できないので、「いや俺はいいよ」 俺は名古屋都知事のままでいいよ、他の人やってくれよ! とか言うわけですよ。


 おじさんいい人過ぎて、周りが正当化してくれてるにも関わらず、自分はダメだって、これは私情だから、「名古屋に帰って都知事やる!」 とか譲らないワケです。


 だって、おじさんが総理を殺した理由は自分にとって総理は理想のままなのに、理想を押し付けたら国民が苦しんでしまって、恨まれる総理というのが自分にとって気に入らないからなだけで、国民が総理のルールで喜んでくれていたら、そう思わないだろうっていうところが辛いところなんですよね。


 国民の怒りより、自分の好きな総理の理想の姿が実は駄目だったというコトを認めたくないっていう気持ちもあるんでしょうね。


  
 総理は不正や国民が怠けるコトは一切してならん、自分もそうする。だからいいだろ!

 おじさんも、そうですよね。そういう考えの総理大好き! 出来るだけそのほうがいいですよね


 だったんだけど。

 実際やってみたら、そうじゃなかった。 国民にとっては辛いし、そんなルール飲めるワケねーだろってなって、ルール上破ったら厳罰(死刑)なワケでどんどん国民は総理を恨むというコトが起こるんですよね。


 それでも、おじさんは総理が好きだし総理の考えも賛同するところがある、けど国民がどんどん死んでしまうし、総理は恨まれるし。これ以上見てられない。なら国民を全部殺してしまうより、総理を殺してしまうほうがまだマシだよ! ってなって殺してしまう。

 でも、まだ総理のコト好きだし、総理の考え方にも一理あるって思うから自分にとっては国民のためにしたワケじゃない! 私情で総理をやっちまった! ていうふうになるんです。

 どんだけ、人がいいおじさんなんでしょうね。

 このおじさんは 自分の行動を正当化するのが苦手なんでしょうね。

 でも、そこでとある人が、いやそれは正当化していいよ! って言ってくれて。やっと総理の座につくんですけどね。

      とある人(ボンボンの熊さん)

 だって貴方のやったことは結果的に国民のためになったし、それが正しいと支持する人が多いわけだから、私情であろうがなかろうがどうでもいいじゃないですか! ってなるんですね。


 おじさん。凄く誠実で実直な人なんだなーって思うのです。だから総理が好きで総理の考え方も支持してたんだろうなーって思う。


 大勢の人のためになるコトとか、良いことやっても自己を正当化できないと、自分にとっては辛いコトにしかならないというコトをこの十二国記40話は教えてくれるわけですよ。


 だから、何かやるなら、まず自分を正当化する手段を身につけないと自己批判のラビリンスに巻き込まれてしまって停滞してしまう。


 さて、このような、おじさんのようになってしまうと、良いことをしてもそれを誇れなくなるので、自分が良いと思うなら誇れるように正当化する手段を身に付ける必要性もあるのではないでしょうか?

 勿論ならがら、自分が絶対に正しいというような、この例でいえば総理のように自己を正当化しすぎるのも駄目なんですけどね。

 だって、正当化の権化になると間違っても、失敗しても、周りから恨まれても、何があっても変わるコトがきなくなってしまうからです。(これを正論病とか思ったりする)

 だけど、正当化できないのも結局は自分の言ってるコトや行動を継続できなくなるので、それはいかん。

 じゃあどうすればいいんだよ!

 そうなると思います。

 んで、僕が思うには正当化しつつも、周りの意見に耳を傾けたり、結果に対して冷静に分析したり、何か問題なのか? 等を常に考えるしかないという、ありきたりな結論になるワケなんですけどね。


 ただ、何かを信じたり、行動する上では最低限の自己正当化はしておかないと、すぐに他人の意見や、見解に流されて自分で判断できない人になったり、何かを始めても続かないようになったりするんじゃないかなーって思う。

 なので、自己正当化する手段は覚えておいたほうがいいなーって思うけど、今日は長くなりすぎたので、その辺はまた今度というコトで終わります。


 十二国記の小説を読んでアニメを見れば、その後の人生は多いに変化すると僕は思うのでこういう知識を得ようと思ったなら迷わずこのアニメ見て、小説を読もう!

 ただ僕は、今だにそれを活かせてはないようなので、活かせるようになりたいなー。


 

 ということで、自己を正当化するというのは大事なんですよ!

 

 悩んだ時は自己正当化できるように考えてみるのも良いのではないでしょうか!!!

 

 

                                    以上!