今日はちょっとした昔話です。
僕の過ごした青春時代の話です。
まあ、青春の定番といえば、修学旅行やなんやらの課外活動をあげる人も少なくないと思われます。
そういう課外活動にはですね。必ず写真を撮る専門の人が帯同して撮影してくれるのが僕の時代の常識だったんです。
それで、その後に個別に販売してくれるようなサービスがどの学校にもあったんですよ!
教室の壁や廊下の壁一面にだだーっと写真が張り出され、各々が自分の欲しい写真を選ぶワケです。
今の小学、中学、高校は知らないけれどまだやってるのかな?
で、その写真を購入するさいに、自分の意中の人の写真も購入したりする人もいるワケです。
ガッツある奴は、そんな周りくどいコトせず自分で交渉したりもあるでしょう。
ですが、まあそれが無理な奴は購入するという手段を選ぶんですね。
勿論、基本的には自分が映ってる写真を購入するというのがその場の当然の空気です。それを見越して、わざわざカメラマンの撮影とその意中の相手と映るように策を練る策士の存在もあるので、そういうのを見分けるのもまた、1つの楽しんみでもあるんです。
ガッツもなく、策もない。しかし、自分の身近にいるお気入りの写真を欲しいと思う人もいるわけです。
え? 僕ですか? 僕は・・・・・・欲しいけど、でも・・・・・・恥ずかしいし、もしバレたれとら! 恥ずかしい! そんな強迫観念が邪魔してまあ購入できないヘタレムッツリ展開をしていました。
まあ、しかし、購入する人はいるのです。
本来はこんなプライベートなコトは表に出ることなんてないんですが、まあ友人の家に訪ねた時に、ついつい好きな人の話なんかして、その写真を見るコトがあったりするのが青春の1ページですよ。
意中の人の写真を写真立てに入れて飾ってる友人を見て、おいおい「アイドルじゃねーんだよ」と言ってしまうワケにもいかず、なんだかこっちが照れてしまうくらいにその写真の君にご執心な友達が僕にはいました。
まあ、そんな彼が、意を決して、意中の相手に告白するんですね。
しかし、そこに待っているのは恐ろしい現実でした。
結果的に、友人は意中の相手に振られてしまうのですが、話の流れで実は君の写真を家で飾る程に好きだと言うコトを言ってしまったが最後です。
「え!? 嫌! ホント気持ち悪いからヤメテ!」 のようなコトを言われてしまうワケですよ。
何て酷い! 許さん! と、思う人 と いや、そらそうやろ と 分かれるかもしれないのですが、そういう人がいるコトも事実だとは思うんですね。
で、そう考えた時に、アイドルの人達も実際はそう思ったりするけども、それを我慢して不特定多数に自分の映ったモノを沢山購入してもらえるように頑張ってるのか?
それとも、そうじゃない。私は純粋に私を思ってくれる人が好きなんですと思う人の集まりなのかかなり気になるところではあるんですね。
まあ、どっちでもいい。 とにかくアイドル業が成立するならっていうスタンスもあるとは思いますが、そこらへんに、僕はアイドルという存在の邪悪さを感じたりするんですよね。
結局のところ、アイドルだって中身は現実の人間です。 不愉快に思ったり、愉快に思ったりするでしょう。
そんな、現実のアイドルより、実際にいない。フィクションの中のアイドルのほうが、実は純でピュアな存在なのかもしれないと思ったりします。(非実在型ではあるけども)
フィクションアイドルというのは、顔も形も歌も踊りも変幻自在、心も体も多種多様、そして永遠に年もとらない。
そう思うと、我が心の師 班目さんが言う、「現実がフィクションに勝てるワケねーだろ!」という言葉がすごく沁みてきます。
しかし、今の現状はフィクションアイドルより、まだまだ現実の人間をアイドルとして扱うほうが人気があるんですね。
現実的にアイドルと結ばれる可能性も低くて、更にその内実は分からないのにも関わらず生身の人間のアイドルを選ぶという現象。
そこには、限りなく0に近い1よりも、実際の0は0でしかないだから適うはずもないという事実を表しているのかもしれないと、昔のコトを思い出したついでに考えてしまいました。