ねここねの思考手記

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好きなことに向き合うってこんなにも苦しまないといけないのだろうか? コンプレックス・エイジを読んだ感想(ネタバレ有り)

 

 好きなことがあり、やりたいことが見つかった人は幸せなんだろうなーってずっと思ってたんですが、とある漫画を読んでから考えが揺れてしまいました。

 

 きっかけはこの漫画 

 コンプレックス・エイジ

コンプレックス・エイジ(1) (モーニングコミックス)

 ざっくりと、どんな話かというと、

 

 女性コスプレイヤーの趣味と葛藤のお話。

 

 主人公はコスプレという趣味に幸せを感じながらも世間の風評や対人関係で自分の趣味に対する好きだと思う心を呪いとまで思ったりして傷ついたりする。

 悪役がこれでもかというくらいに嫌な感じで主人公を悩ませるというか、悪意のない悪意(悪意のある悪意もあるが)とにかく主人公が周囲から傷つけられ、更に自らも悩み傷つき立ちなおりながらも傷つく感じが読んでいて胸が痛くなるので、心臓には悪い作品である。 種類とジャンルは大きく違うが”モテキ”という漫画を読んだ時なみに心が痛む作品だった。 

 

 だからこそのインパクト! これを読むとコスプレイヤーの悪口は絶対言わないでおこうと思う作品である。 彼女達はそうとう繊細でありタフだ。だからこそ慈しみを持ってみなければならん! そう思わされる作品だ。

コンプレックス・エイジ(6)<完> (モーニング KC)

 僕はコスプレイヤーの事情は詳しくないが、コスプレイヤーのやっていることって個人的なアイドル活動に近いと思ったりもする。いや、少し違うか。アニメや漫画のキャラクターを宗教的シンボルとし、そのシンボルを真似ることで同一性を楽しむという感じだろう。その宗教的シンボルを自身に光臨させるために、自分でアニメの研究や服飾の技術を高めポージングやプロポーションの摂生等に取り組む人達ってのはやはりすごいものがある。

 

 ただ、ここまで本気なのに、いや、本気だからこそ苦しんでるというのが個人的には引っかかる。 基本的に自分の好きでやっていることを他人から貶められるのはつらいことであるというのは分かる。 本気で可愛いと思ってコスプレしてるのに「ババアが年を考えろ」的なことを言われたらそうとうくるだろう。 告訴もんだというのも分かる。 だが自身がそういう言葉に傷つくのは自身もそういうイメージを持っているからであるだけなんだろうなーと。

 

 いや、違うな! この主人公は自らがお気に入りのキャラクターになりきれているという評価を自他共に欲している。自身の承認欲求の肥大化が自身の年と共に訪れるギャップに耐え難い重圧を感じたんだろう。 なので、後半はそのことに気づいて自身の出来ることと、出来ないことを理解して折り合いつけてやりたいことを見つけ、素敵な旦那候補も見つかりハッピーエンドという展開は非常に良かった。 こんなに苦しんでる人が不幸せな展開で終わったらやっぱりそうとう辛いし。 

 

 んで、ここまで書いておいて改めて思うのは、

 好きなことで苦しむのはきっと、好きなことで結果がでない、自分も他人も認めてくれない。だから苦しいのだろうなと。

 

 だから、幸せになろうと思ったら、好きなことを見つけるだけでは駄目だ!、好きなことで結果を出さないといけない。いや、結果を出し続けないといけない。何故なら結果を出し続けれない場合は自分かもしくは他者が仇敵となって襲ってくるからである。そして、引退に追い込まれるのだ。

 

 ということはだ、せっかく好きなこと楽しいこと、幸せになれることを見つけても結果が出ないのは不幸だと言わざるえないのかもしれない。

 

 そう考えると、好きなことがある、やりたいことが見つかるというのも決して恵まれたものではないのだと思わざるえない。

 

 結果が出なくても、自分で行って自分だけで完結できる趣味だったらもしかしたらもっとお手軽に幸せになれるのかもしれない。自身の成長という概念だけで喜べる趣味だったらこうまでは苦しまないのだろう。 

 

 だが、コスプレという趣味はきっと独りでは自己完結できない色々な複合的な絡みが多い趣味なんだろうな。

 

コンプレックス・エイジ(1) (モーニングコミックス)

コンプレックス・エイジ(1) (モーニングコミックス)

 

 

 しかし、この漫画! ハッピーエンドで良かった! 本当に良かった! そう思うのでした。

 

                                   以上