ドラゴン桜とか、クロカンとか、スカウト誠志郎とか、砂の栄冠とかマネー拳 エンゼルバンクを描いてた漫画家の三田紀房先生の最近の作品。
「インベスターZ」
この漫画の内容と言えば投資の有益性と利便性をズバズバと言いたい放題、やりたい放題、時にはタイムトラベルまで活用して楽しく投資が学べる感じで話が展開していく作品なのですね。
そんで、この漫画の中でズバっと「お金=自由」「金=幸せ」「金=豊か」というような発言をするキャラが出てきて、周りを完全に納得させてしまう展開があったりする。
とにかく、「お金=幸せ」の価値観をバンバン突きつけてくる。 お金のない僕はこれを読んで、オマエは金がない奴だから不幸な奴だと言われてるような感じがして結構凹んだりもする。
「金以外に人間を救い豊かにするものはない!」
でもそれって言い換えると、お金のやりとりは幸せのやりとりで、お金もってる人がお金持ってない人よりも幸せだというのなら、お金持ちは幸せを独占もしくは、幸せの占有率が高いというコトになる。
つまりは幸せじゃない人はお金もってる人に「お金下さい」って言ったとして、お金持ちは「嫌だ」って断るのは俺は幸せだけど、他人は幸せじゃなくても構わないって言うコトに繋がるような・・・・・・。
そんで、貧乏人連中がお金持ちの存在を恨んだりしてヤケっぱちになって悪いコトして、お金持ちがお金を独占するからやったんだ! だから俺は悪くないとか言いそう。
お金というモノが幸せという概念を決定するというのなら、世の中の不幸を作り出しているのはお金という概念に縛られるからという発想に繋がって、お金持ちからどんどん課税して貧乏人にお金を分けるべきとかそういう発想に繋がりそう。
お金持ちがそういうことを言うと、お金持ちの立場は巡り巡って悪くなるような、気がする。 だからお金を握った人で「世の中金じゃない!」ということを言う人は胡散臭く感じるのかもしれないとか思った。
でも、金持ちが「世の中金じゃ!」って言うのもやっぱり貧乏人の嫉妬を招くだろう。 だから、金持ちは黙っていたほうがいいのかもしれない。沈黙は金持ちの特権というやつだろう。 そして、貧乏な人間は「ピギャ、ピギャ」と、今日も馬車馬のように労働を強制されるのである。
あああ、悲しい・・・・・・。
まあ、三田先生はお金がないコトで昔かなり苦労したらしいので、その経験も踏まえて描いてるのだろうとは思う。
「お金=幸せ」
これを論破しようと思ったら
お金で幸せになれなかった例をあげたり
お金が沢山あって不幸になった例をあげたり
お金がなくても自他ともに幸せであるという例をあげたりしなければならないのだろうか?
結局のところ「お金=幸せ」を完全に論破するなら、お金というモノがなくても社会が今より発展するという論理を提示する必要があるんだろうな。
んで、それをしようと思ったら、お金の代換えとなるツールを提示するとか、お金の価値をゼロにするような考え方とか、お金のかからない生活様式を提示するとかして、それを望む人が人類の過半数であるという展開に持っていく必要があるのだろう。
でも、現状はお金の力は年々強くなっていっている。 何故なら世の中にあるお金に換金できないものがどんどんマネタイズされていってるからだ。 100年前はいくらお金を積んでも宇宙に民間人はいけなかった。 だが、今はお金を払えばいける世の中だ。 医療もお金をかければかける程に高度な医療が受けれる。 日々、色々な世界のマネタイズがお金の権力をさらに押し上げる。 そんな中で「お金=幸せ」という考え方を論破するということは、激流の流れに逆らうが如し愚かな真似に等しいのかもしれない。
だけども、僕は貧乏だ! だけども、お金という支配から開放されたい!
お金に支配された世界を変える方法があるなら是非とも教えて欲しい。
そんな僕の妥協案はミニマリストを目指すしかない。しかし、それが正しい選択なのだろうか?
貴方はどう思いますか?