「大変申し訳ございませんでした」 「すいません」「ごめんなさい」「メンゴメンゴ」「アイム、ソウ ソウリィー!」 ってな感じで「シェィシェィ」したら、誰もが許してくれるわけじゃないって思う「ねここね」です
冒頭からわけのわからん前口上で今日は始まりましたが、まあ、今日は謝罪というか、謝るというか、誤った時に謝るというか、過ちを認めるが謝れないというか、そういう方面のネクラ人の話です。
なんていうかですね。僕は素直にというか、なんというか嫌いな人間には謝れないというか、許して欲しいとすら思わない時があることに最近気づいた!
たとえ! 自分がどんなに間違った行いをしたとしても、不当な怒られ方をしたり、人格批判のような言い方で責められると、絶対に謝らん! って自分がいる!
そうなると、なんか許さん相手を僕が許さんシステムみたいなもんが僕の中で発動するんですよ!(まあ、一種の暴走状態ですね)
だけども、自分が好きな人とか、仲良くしたい人とか、利害関係がまったくない人とかには凄く深く謝ることができるし、許してもらえるまで謝り続ける僕がいる。相手が悪くても自分が謝ることもしばしばです。
なんなんだろうね!
僕ってやつは! なんなんだろうね!
本当に自分でも分からなくなる。
そんで色々考えてみたんだけども、どうも僕は相手から許してもらいたい! とか、許されることが前提じゃないと謝れないところがあるなーって思うわけです。
例えば、
謝罪しても許さんって言ってる人とかに、謝罪するって正直無駄に感じるというかなんというか、相手が受け入れる体勢もないのに謝罪することの愚かしさというかなんというか、そんな時、僕はもっとも謝れない自己の存在を認識するのです。
なんていうかなー。
「今、怒ってるし、君が謝罪しても当然怒るんだけども、謝ったら許してあげるから謝罪してください!」
って言われたら僕は多分、謝れる!
でも、許される保証もなしに、謝罪することはやはり出来ない自分がいる。
「謝罪したら許してもらえると思ってんのか?」って言われたら「許されると思っているから謝ってるんだよ!」 とかいうクソ思想を持つ人間が僕という奴なんだろう。
許してもらえるかどうかまったく分からない。不確定な状態でとにかく謝るという行為が僕には出来ない! 謝ってるのに許してくれないなら、謝罪に価値はないから、謝罪したぶんだけツライだけだろうって言う考え方なんだろうな。
そんな気持ちで謝罪するから許してもらえないとか言う人もいるけども、人間ってそこは結構打算的になってる人も多いと思う。
自分の自尊心の価値を下げていって、それが無価値と判断されたらやはり、そこはもう生きているのがツライレベルだろうと非常に思うんだよね。
だから、安いプライドを持つ連中は長生きができないんだろうなー。
例えば、歩いていて他人と肩がぶつかったりした時は、瞬間的に「すいません!」って言えるんだよね。 肩がぶつかったりするくらいなら、相手は謝れば許してくれる、そして、それはお互い様だしってなることが瞬間的に分かるから謝れるわけですよ。
だけども、謝っても許してもらえるかどうか経験則で判断できない場合は僕は謝罪できない、例えそれがどんなに悪いことで、悪いと自分が自覚しても謝れない気がする。
そういうところが、最近自分でも怖くなってきたから人格改造しないといけないなーと思う。
子供のように素直に謝罪が出来ればいいのだが、もう子供という年じゃないから人格を改変するのはむずいなぁーと感じる。
どうすりゃいいんだろうなぁー