神ゲーがその後の二次元オタクの道を左右すると、本気で信じる「ねここね」です。
EVE burst errorという神ゲー。僕は何回クリアしたんだろう。話の筋を覚えても、覚えてもまたやりたくなる。 そして、菅野ひろゆきさんが逝去されたと聞いた時、僕の心の中の12神将の内の1人がいなくなったと。真剣に嘆き悲しんだものです。 当時は1ヶ月くらいその事実を受け止められない程に悩んだモノです・・・。今日はその大天才AVGゲームクリエイター管野ひろゆきさんが手がけた遺作の神ゲー話が題材です。
さて、この神ゲー解説すれば、長編小説の3冊や4冊はくだらない量の文字数となりますので、今日はちょっと思い出して、今だに引っかかるシーンの記憶を元に記事を書いていきます。
このゲームは二人主役が採用されてるゲームでして、一人は私立探偵の天城小次郎という男性。もう一人は政府直轄の組織、内閣調査室で働く捜査官の法条まりなというナイスバディのお色気ねーちゃん。
その二人の視点で物語は進んでいくゲームなのです。
そして、最終的に視点は一つとなり法条まりなと天城小次郎とその他2名が浸水して沈没した船の一室で閉じ込められるというシーンがあるんですね。
そのシーンで僕が今だにちょっと引っかかる二人のやり取りを書きながら考えて行きたいと思います。
狭い船内の一室で助けを呼ぶために壁を叩いてその状況を外部に知らせようとするところでですね。
救助隊になんとか気づいてもらうための壁叩きですね。隣の部屋の壁ドンとは違い生きるための壁ドンです。
時間毎に交代で壁を叩くというコトを閉じ込められた天城と法条は繰り返すワケですよ。
そこで、最初は交代で壁を「ドン、ドン」と叩いてたんですが、そのうち法条まりなが、適当に叩いた展開があり、それに天城が文句をいいます。天城は「おい! 法条! そんなんじゃ 救助隊が通り過ぎちまうぞ!」とかなんとかと言います。
そしたら北条さんは「うっさいはね」とか言ってむっとするけど、壁を叩き直します。「そんで20回ぐらい叩いたわよ!」と言ってドヤ顔です。
しかし、天城、ツッコミます「なんだよ! その20回くらいってのは。いま数えたら18回だったぞ。2回足りんな」とドヤ顔で返します。
そしたら「2回くらい叩く回数が減ったからって、救助隊に見つかる確率まで減りやしないわよ・・・・・・」 そう返します。
そんで天城は「ほぉ、ほぉー 2回くらいで叩く回数が減っても確率が変わらない、そういう理屈か」
んで「そうよ、そう言ってるじゃない」と法条さんが主張する
そしたたら天城、超勝ったつもりでこう言います「だがー その理屈だと、数学的帰納法を使えば、0回でも見つかる確率は減らないってことになるぞ!」と言って更に「どうだ! まいったかー」とか勝ち誇る始末。
法条さんは「・・・・・・呆れて、男の理屈っぽいのってサイテー」とか言います。
天城たまらず「むぅ」とか黙りこくります。
このシーンで僕の思考が飛びます。
理屈で女性に嫌われるのが気になるのです。
だから立ち止まって考えてしまうのです。
男の理屈っぽいのは最低なのだろうか????
僕の心の師匠、シャア・アズナブルは理屈にたいしてこういう見解を持っています。
「それが正しいモノの見方だ!」 シャア・アズナブルがアムロにララアのコトを咎められた時の名シーンですね。
理屈で判断すれば、天城の言うコトはもっともなんですが、現実的には20回も18回もそれほど救助隊に発見される確率変わらんです。
そこに、理屈をつけてツッコムのは相手に嫌われる要素なのかなーとか思ったり、20回叩いて欲しいと思う意志があるなら、もっと違う言い方をするべきなのかなーって思ったりします。
だけど先に屁理屈こねたのも法条さんだし、20回を18回と言ったのも法条さん。
まあ、狭く暗い船室に閉じ込められた極限状態のようなもんですし、船は海底に沈みかけ状態、酸素も残り少なくなってきた。
その状況で屁理屈を理屈でせいするほうがどうかしてるよ! とか、思ったり、最後まで助かる可能性を上げるなら嫌味となろうが後2回叩けよ! と、言うのが正しいのかな? とか色々考える。
んで、結局のところ天城側からすれば助かる可能性を下げたくないだけで20回叩いて欲しいだけだから、天城が残り2回壁ドンかませば万事解決かなーって思うけど、それはそれで嫌味にうつるだろうし、感情的になった女性にアプローチする時とこの状況は似てると思ったりした。
この状況で、20回壁を叩いたと言った法条に実際は18回しか叩いてないと文句をいうのは重箱の隅をつつく行為に相当するんだけど、法条は法条で2回叩くのが減っても変わらないっていう理屈を持ち出すもんだからややこしくなるんですよね。
この状況で法条さんの機嫌を損ねるコトなく、更に法条さんに快く壁を2回叩いてもらえるような台詞を考えるんですが、なかなか思いつかない。
なんかいいのある?
僕は、「法条さんを愛してる。だから後、2回叩いてちょんまんげ!」とかしか思いつかなかったです。
結局のところ、理屈で感情を捻じ曲げるのも、感情に対して感情で戦っても駄目だというコトだと思うんですね。
だが理屈と理屈で戦わせても、より妥当性の高い理屈が勝つだけで問題が解決しないことが多い。そんで、今度は相手が違う理屈や感情を持ち出す。
結局その繰り返しである。 だけども、この繰り返しで問題が解決するならば、とことんやり合う意味はあるはずなんですが、どんなに妥当性のある理屈だとしても問題が解決しない場合はそこを急所に突っ込まれてしまいます。
「そんなこと言っても変わらないでしょ!」適な感じでね。
だから僕は理屈や感情を無視してどんな問題も解決できる人間になりたいと思うが、そんな人間になれるわけもなく、そこに人間の限界を感じるのです。
やはり人間ってのは限界あるなー。
石仮面被りたい。
人間を超越してみたいです!!!
余談!
ぶっちゃけ今更だけども これアニメ化しないかなー。 ここ数年過去の名作がアニメ化する流れがあるじゃん。
ピンポン しかり、寄生獣 しかり、うしおととら、しかり、その流れで過去の神ゲーをアニメ化してくんないかなー。
とか思うのでした。