「リアル」ってのは現実。「リアリティ」っていうのは日本人の感覚では現実っぽい。 という感じだと思うんですね。
間違ってたらごめんなさい!
ただ、僕は子供の頃、「リアリティ」という言葉を露伴先生から教わりました。
偉大です。露伴先生!
そして、子供のころは「リアリティ」って生命って思ってました。しかも「リアリティ」って言葉なのに「リティア」って言ってました。「リティアだよ、リティア!」ドヤ顔で言ってました。
その発言を親が聞いて「リペア?」と僕に聞き返します。
僕は「リティア! リティア! リティア!」と何度も言い返します。
そんで親はそれってどういう意味って聞いてきます。
「生命!」ドヤ顔です。 注(修理)
親は意味不明だと言わんばかりに僕を見ます。そんでどこでその言葉知ったのと聞いてきます。
そして親の持つジョジョの奇妙の冒険のこのページを差し出します。
「これ、リアリティって書いてるけど・・・・・・」
僕はそれでも「リティア! リティア!」と言うのやめません。子供だからです。
親は諦めて諭すコトやめました。
そして、その一年後に僕は「リティア」を捨て「リアリティ」と呼べるようになったのですが、実は親に言われた時点でちゃんと気づいていました。でも恥ずかしくて「リティア」を捨てるコトができなかったんですね。
一度思い込むと その認識もそうですが、間違っていることを素直に認めるコトも中々できないもんなんです。
世の中ってそういうコトの行き違いですごく険悪になったりします。
間違ってるいるコトを覚えて「リアリティ」という言葉を「リティア」と呼び、その意味すら間違えて覚えると時にとんでもない誤解が生まれます。
なので、出来るだけこういうコトが世の中から減るような社会になればいいなーって思ったりするけど、そういう偶然が思わぬ面白い発見にもなるからこれまたなんと言えない。
ひょっとしたら間違いを認めれないのが子供、認めれるのが大人なんかなーって思ったりするけど、大人になれば面子のほうが大事な時もあるし、認めるワケにもいかないコトなんていっぱいあります。 だけど、相手の間違ってるところを指摘できないのは大人ではないのかなって思うけど、指摘したら駄目な時もあるし。この手の悩みはつきません。
言葉って難しいですね。
ちなみに露伴先生は偉大です。何も悪くないんですが。こういう事件は起こりました。
だからたまに自分が書いてる内容でそういうコトが起こるかもしれないなーって思うとちょっと不安ですがこのまま突き進みます。
貴方はこういう勘違いをしたことがありませんか?
僕は今でもたまにやります・・・・・・。