ねここねの思考手記

主にアニメ系 漫画系 らのべ系のサブカル系が中心です

ライトノベルの表紙はきもいのか? 違いますよ貴方のキモイ精神がきもくしているのです。

 

 なんか、ラノベの表紙がキモイとかなんとか最近聞くのですよ。そんでね僕は思うわけですよ。「そんなことないと」 キモイと言ってる奴がキモイだけでラノベの表紙は1ミリたりともキモクないのです。 これガチ。きもいわけがない。ふざけるなよ。自分の認めれないものは認めたくない排斥思考の住民どもめと憤りたくなったりもしてしまう私ですよ。

 

 ラノベの表紙といっても色々ありますがね。

 きもいことはございませんよ。

 勿論、ながら18禁の大人な本と誤解を受けないレベルの表紙があることは認めるが、それがキモイってなんなんだ? 潔癖症? うんことかしないタイプの人間? 世界が常識ばかりで回っているとか思っている視野が狭い人間なのかと疑うレベルである。

 

 たかだか、ラノベの表紙だぞ。

GENESISシリーズ 境界線上のホライゾンXI<中> (電撃文庫)

 

キラプリおじさんと幼女先輩 (電撃文庫)

僕は友達が少ない 10 (MF文庫J)

キノの旅 (18) the Beautiful World (電撃文庫)

このマンガがすごい! comics 猫と竜 2 (このマンガがすごい!Comics)

 こういう表紙が気に入らんのだろうな。なんだろうな。勿論、もっとえぐいのは探せばいっぱいあるし、平積みになっているもので女性特有の強調パーツが極端なデフォルメ演出を受けている現状は確かだが。それをキモイと思う心は個人の勝手なのですが、それでも、なんなむかつくのよね。

 

 書店に行って、たまたまライトノベルコーナーに足を踏み入れたり、ラノベに力を入れている書店にいって、色々なラノベの表紙に目につく展開があるのだろう。しかし、そこに暴力等存在しないし、それを見て、キモイとネットで叫ぶ住民こそ、言葉の暴力をはなつ、潔癖性勘違い他人のことを理解できないまま大人になった人間達なんですよ。 それに反応して、こんな記事を書いている私自身もどうなんだろうなと言えば、それまでなんですが、なんか、むかついたので、理不尽な言動には理不尽な言動で返すという選択を今日はしたくなったのである。

 

 まあ、正直なところ、ラノベの表紙がキモイとか言われてもどうでもいいんだよ。だって、そんなこという奴はおいらにとって、どうでもいい価値のない人間なんだから、シカトしたほうがいいわけだが、なんかこの手のネタが続くのでどうしても書いてしう。

 

 だから、それを言った奴、拡散した奴はさっささとすべてのラノベの表紙を書いている作者に謝れクソ野郎とか思ったりするのです。 

 

 だれだよ、ライトノベルの表紙キモイとかいって大きく拡散したやつ。

 まじに、そいつが一番キモイ......。

人類の目的はなんなのか? 生まれてきて、育って、次世代に遺伝子を繋げない固体ってどうなんですか?

遺伝子‐親密なる人類史‐ 上

 

 年をとるとたびに良く思う。

 人間はなんのために生きているのかと。

 何処からきて何処に行くのかと。

 

 そんなことは思春期に悩んで以降悩む人間はただの暇人であるわけなんだが、日々が充実していない、余力を残して明日へと寿命を伸ばしているだけのオイラのような人間は良く迷うわけですし、考えるわけですよ。

 

 人類はというか生物はなんのために存在するといえば、それは自己保存だろう、種の保存だろう。繁殖だろう。世の中にいるほぼ全ての生物は自分の種を、自己を保存するため、繁殖するための行動に全力を注いでる。

 

 犬も猫も、昆虫も、微生物もである。繁殖能力のない生物も生まれてきたりはするが、それは人間の中にもいるし、何事も例外はあるのだが一般的な見地から見れば、人は生まれて、育って、産む、産ませるをするのが基本だったりする。

 

 しかし、僕は生まれて、育ったが、繁殖はうまくいっていない。これは困った問題である。解決する方法はある。自分の子供を産んでくれる人を探すである。

 

 恋愛して探す。

 代理出産で探す。

  

 そんなことぐらいしか思いつかない......。

 

 生まれてきて、育って、次世代に遺伝子を繋げない固体ってどうなんですか?

 悲しすぎるんじゃないですか?

 

 それは、自己責任なのでしょうか?

 この時代には、そぐわない能力しかないからなのでしょうか?

 わからないです。

 

 自分の遺伝子を繋ぎたいと思うのは自然な思いであり、これを阻害する状況は全てが合法化するべきなんじゃないか? と、思ったりもするがそうもいかないのが現実だろう。

 

 じゃあ、どうすりゃいいんだよ?

 

 自分の子供を産んでくれる人を探すか?

 自分の子供を産んでくれる人に自分を探してもらうかしないといかんわけだ。

 

 前者は自分が探しに行く行動をとるわけだが、その気力もない。

 後者の場合は自分を気に入ってくれる人があらわれるのを待つしかないわけですが、それも無理だな。

 

 このマインドがいかんのだろうけども、僕は女の人が好きだけども、女の人は僕をみると必死になって騙して金品を巻き上げにかかるので正直なところ、信じれないのですよね。騙しやすい男には、騙す女ばかり寄ってくるわけなんですよ。悲しいことにね。

 

 このままでは、絶望しかない。

 それでも、明日はくるんですよ。

 やまない雨はなのですが、雨がやんでも、僕の遺伝子は明日に繋がらないわけです。

 

 今年も後、3ヶ月とちょっとです。

 僕の子供を産んでくれるような奇特な人が現れたら良いなと思います。

 

                                   以上

遺伝子‐親密なる人類史‐ 上

遺伝子‐親密なる人類史‐ 上

 

 

 

人は何故に残酷なことが気になるのか? いじめは何故起こるのか?

 

最近ですね。

いじめの時間っていう漫画を読むことになりまして。

イジメの時間 (1)

 まあ、この漫画はなかなか酷いもんです。

 主人公が中学生でDOQにいじめをうけて、自殺するぐらいに追い込まれるんだけども、そこから死ぬぐらいなら、復讐するというかたちで立ち上がり、いじめっ子を拉致監禁して、そして、そのいじめっこの彼女もスタンガン等で気絶させて裸踊りをさせたり、お漏らしさせたりと、いじめられっこがいじめっこに復讐するという漫画なんですよね。この漫画。

 

 僕はこの手の漫画が好きではないですね。読んでも不愉快になるからね。でも、ついつい読んでしまう。いじめられてた人がいじめた人を拉致監禁して、その彼女にも酷いことして、そのいじっめ子の女も共謀して主人公をいじめてたし、その他の生徒にもいじめしてたので、恨まれて当然なんでしょうけど。

 

 いじめが何故起こるのか?

 色々です。

 根本的なところは弱肉強食の論理が働いてる側面が強いかな。

 強いと弱いは色々とたゆっているけども、身体の自由を奪われて拷問されたりしたらもう、立場は明白ですよ。

 

 それこそそれは、いじめとかのレベルじゃないけどね。

 立場に差が生じる状態が存在するのだからいじめなんてなくならない。むしろ意図的に効率よくいじめがおこるように社会は出来ているというレベルの話なのですよ。

 

 そんなことはどうでもいいんですよ。

 いじめがあり、残酷なことを人が人にするってのはなんでやねんって話が一番気になるのですよ。

 

 それも、あれか。一番の理由は他人を殴っても自分の身体は痛まないからでしょうね。他人を殴った瞬間に身体に電気ショックが走って3倍の痛みを受けるとかいう仕組みがあるなら、誰も他人をどつかないだろう。損得勘定が出来ない人間はやるかもしれんが少数派やな。

 

 とういうわけで、他人を拷問したり監禁したり、殴ったりできる理由は自分が痛みにおけるダメージを受けないからだと断定できるな。

 

 じゃあ、本題だ。

 そういった、拷問とか拉致監禁されている状況に興味をもったり、見たりしてしまう欲求はどこからくるのだ?

 

 他人が拷問されている姿なんて別に見たくないだろ?

 拉致監禁されて卑猥なことをされたり要求されたりする女性をみたいかね?

 

 答えは

 イエスだ。

 それなりに需要があるジャンルなのだよ。

 いじめや、拷問はおいらも不愉快になるが、そういったシーンをみて感情が揺さぶられることがあるのは否定できないのだ。

 

 でもな

 自分がされたら嫌だし、自分の大切な人がされるのも好まない。赤の他人でもそれは同じだ。優先度は違うがね。

 

 他人にたいして、暴力を振るったり、拉致監禁したり、弱みを握ったりして理不尽な要求を通すということに快楽を感じる人は世の中にいるんだろうか?

 

 いるんだろうな。

 気持ち悪いな。

 

 なんなんだろうな。

 自分がされて嫌なことでも他人におしつけてしまえば快楽になるという状況は常々あるのだが、わざわざ、殴ったり、脅したり、拉致監禁したり拷問したりする人間は正直なところ怖すぎる。もっと他に面白いことあるだろうに。

 

 でも、それが楽しいんだろうな。

 だから、やれるんだろうな。

 怖いな。

 

 というわけで、人は何故に残酷なことができるのか?

 

 ということの答えは

 楽しいから残酷なことができるです。

 娯楽なんですよ。

 そういうことなんでしょうね。

 怖いね。

 

 正直なところ、中世とかの時代ならまだしも、この平成の世の中で人間を殴ったり、脅したりすることに快楽を見出す人間がいるてんて嫌だなーと思うな。

 

 そういうのは、フィクションの中だけでしてほしい。

イジメの時間 (4)

イジメの時間 (4)

 

 

何故に女性はBLが好きなのか? 腐女子は何処からきて何処にいくのか?

 

 女性はBLが好きだ。

 女性はホモが好きだ。

 女性はゲイが大好きだ。

 

 それを象徴するかのように今日も今日とてオタク女子、腐女子は池袋の乙女ロードに集合する。個人的にはそれはそれで良いのですが、個人的には長年の謎なんですよね。

 

 乙女はなんでそんなにBLが好きなんだ?

 女子はなんでそんなにゲイが好きなんだ?

 姉様はなんでそんなにホモが好きなんだ?

 

 謎である。

 

 一説によればボーイズラブの経済効果は200億円以上の市場と言われている。

 成程、ゲイやホモには大きな市場価値があるようだ。

 

 そもそもBLって何? って問われるとこれが奥が深いのだ。

 単純に男同士がちちくりあうこと事態をボーイズラブを指すこともあるが、実態は細分化されている。そこにまで、詳しく突っ込む気はないが。僕は二次元的側面から突っ込んで考えていきたい。

 

 僕の古い記憶でボーイズラブが確認されたのは。

 週刊少年ジャンプで連載されていたキャプテン翼である。

 その他、男同士の友情、努力、勝利を展開する作品には必ずと行って良いほどにボーイズラブがつきまとう。私が幼き頃にキャプテン翼を胸熱に読んでいたころに、腐女子連中はせっせと、違うベクトルでお熱いお楽しみを見出していている。

 

 姉さま達は本当にすごい想像力を発揮して私とは別ベクトルで二次元を遊びつくし、弄りたおしているわけですよ。

 

 僕がスラムダンクに熱さを感じてる、その隣で腐女子は別ベクトルで妄想繰り返す。

 僕がるろうに剣心で「師匠カッケー」とか言ってる横で、師匠に別の意味で攻められる剣心を想像する女子がわんさかいるわけです。

 ガンダムの人気が爆発するかどうすら、腐女子の妄想カップリン性を刺激してその圧倒的な戦力増強と支援がないことには立ち行かない。

 

  いや、もはやBLを刺激しない二次元等に未来はない。そう思えるくらいに、ボーイズ・ラブは社会に浸透している。それを気持ち悪いとかどうとか感じるわけでもないし、悪いともなんとも思ってないので、それは勘違いしないでほしい。

 

 ところで、女子は甲子園やプロ野球選手が好きだったりする。格闘技を見るのも好きだったりもする。強い男に憧れたりしているわけではないのだ。そこにBL性があるからである。

 

 腐女子は我々、ノーマル二次元男子と異なるベクトルで様々な妄想をする。執着する。カップリングするのである。もはや、2次元も3次元もない。BLの魔手は至るところに存在する。

 

 そんな、BLの魔手から守護をせねばと思わないでもないのだが、オタクになろうと思ってオタクになる奴がいないのと同じで、BLになろうと思ってなる腐女子もいないのである。気がついたらなってるのである。

 

 好きなことを追い求めた結果なんですよね。

 コスプレ好きがいつものまにか、コスプレを好きになるように、BL好きもまた、気がついたらカップリングの妄執にとりつかれる。

 

 色々と述べたが、私は女子が何故BLを好きなのか?

 腐女子諸君とはなんなのか?

 疑問に思うわけです。

 

 なので、その根源を探るわけですよ。

 それを言い出すと風と木の詩とかの話になるわけですよ。

風と木の詩 (16)

風と木の詩 (16)

 

  これに登場するジルベール君とかいう美少年が色々な男性に性的な悪戯とかされちゃうわけですよ。父親に悪戯される美少年。なんとも背徳的な展開である。なるほどな、ベルセルクのガッツの幼年時代にもそんなエピソードあったな。成る程、ベルセルクにも腐女子の魔手が伸びてる理由がこれで説明がつくわなと思ったりもした。

 

 女性の心は男性からすると複雑怪奇です。女性側から見れば男性もそうなのかもしれません。女性は男性を嫌悪します。割合的に、男性が女性を嫌悪する率よりも、女性が男性を嫌悪する率の方が高いと言われています。

 

 男性が恋愛対象とする女性が女性の8割以上とすると、女性が男性を恋愛対象にするのには2割程であるとのこと。基本的に男性側から女性にいいよって行くというスタンスと、アイドルを追っかける女性の層を考えると、そういうもんなんだなーと思わされる。女性は女性に人気のある男性を好きになるという傾向性も認められているとかなんとか。

 

 話がそれた。

 女性がBLを好きなのは何故か?

 腐女子はどこから来て何処に行くのか?

 というところなんですよ。

 

 男性にも性欲があるように、女性にもしっかりと性欲があります。

 しかし、女性は男性が思っているよりも臆病です。気軽にフリーセックスなんて出来る豪傑女子は少ない。男子も昨今は弱体化の一途を辿っていますがね。でも、性欲があるわけです。好きな人に触れたり、愛を囁かれたい、でも、それだけじゃ嫌、その過程で障害やトラブルにあったり、好きになっていけないという繊細な機微が大事だったりします。

 

 そこで、BLなんですね。

 ボーイズ・ラブには必ず役割が存在します。攻めと受けですね。男子×男子なんだけども、どっちかがゲイ役とノンケ役で別れているわけです。ノンケってのは異性愛者のことです、その気がないて意味っすよ。

 

 ボーイズ・ラブの三大要素に

 孕まない、生理がない、処女でも気持ちい

 という要素がある。

 

 女性にとって性欲はあっても、

 妊娠はリスクである要素はいなめないし、生理は基本的に辛い、でもセックスに対して気持ちよくなりたい願望ってのはどうしてもある。

 

 言ってみれば、ボーイズ・ラブは女性にとってコストパフォーマンスの良い性処理道具になりうるわけですよ。女性だってムラムラしたいんですね。でも、リスクはおかしくたくないし、男の異物を自分に突っ込まれる恐怖というのにもいささか抵抗があるのです。処女膜というものが全力でその証拠ですね。膜を破られる恐怖なんて二次元の世界でも知りたくない、自分と重ねたくないんです。いや、まあ、破られることが気持ちいいと思える妄想を抱ける腐女子も多数いるので、全体とは言い難いがね。

 

 リスクなく、痛みもなく、気持ちい世界が基本的にボーイズ・ラブである。

 自分とキャラを重ね合せるのではなく、自分はそれを見る傍観者であるというスタイルですな。噂話が好きという女性の特徴をものすごくついているジャンルなんだなと改めて思う。女性は共感性が強いが、深く知りたいが自分のことでない方がいいという思考回路が目立つ。

 

 単純にBLは女性にとって性欲を満たすためのコストパフォーマンスが良いのである。オイラ男子達がエロ本とか買うのと大差ないことなんであるわけだ。

 

 僕の中では女性の性欲が根源となって顕在化したのがBLという文化だと思うのですが、腐女子の方々は常によく言います。そんなことに理由はない! ないんだと言い張ります。性的な気持ちがないわけではないが、そうではないと言うのです。好きだから好きなんだ。それを本能からの衝動だといい加減気づいて欲しい。そして、BLという精神性は性欲を媒介していると認めるべきだと私は思う。食欲からBL的な思想になるのか? 睡眠欲からBL思想になるのか? レアケース過ぎるだろう。無理がある。

 

 人間は本能、遺伝子的な要素で好き嫌い、向き不向きがある。生まれつき足が早く走れるような身体に発達する人間、聴覚の優れた人間、頭の良い人間。嗅覚の優れた人間、勿論、人間はフレキシブルだから環境次第で補正が働いていくわけだが。

 

 精神的な活動は生殖本能の複雑な変化による顕在化だと私は思う。お腹が減ったら飯を食う食欲。好物を食べながら勃起する奴もいる。睡眠しながら勃起する奴もいる。ムラムラして勃起するやつなんて山程いる。

 

 好き嫌いなんて、本能に近いところにある。

 それが何処から来る?

 食欲からBLになるのか?

 睡眠欲からBLになるのか?

 性欲を根源としないとBLにならんだろうが!

 とか思うわけですよ。

 

 そして、近年はまだまだ、BLという文化は進化していく。

 性欲はいつの時代も成長産業である。

 BLが衰退等するわけがない。

 腐女子が減るわけがない。

 それはいい。別に悪いことじゃない。妄想大好き女子が増えることは二次元業界にとっては好都合だし、僕にとっても好都合である。

 

 しかし、何処に行くのか? 

 何処からきたなら、何処に行くのかか気になるところである。

 

 BLは何処に行くのか?

 腐女子は何処行くのか?

 

 人間の性欲がBL生んだ。

 BLから腐女子腐男子が誕生した。

 

 ということは、新たなるものが誕生するべきなのだが、

 

 現状はBLが腐女子を産み、腐男子を産む、そして腐女子腐男子がまた、BLを生むという無限ループが発生しているのである。

 

 その中で、派閥が生まれている。

 性欲を肯定するBL原理主義派派閥と性欲を否定するBL非原理主義派閥である。

 人間は上っ面を気にして色々と主張するものだから、それはそれでいいのだが。

 

 私はBLは性欲肯定するBL原理主義に一票入れたいな。

 

 そして、BLはきっとこの先も何処ににも行かない、多数の乙女と少数の男子達の間で無限ループ繰り返し、新たなるネタに躍起になるだけである。

 

 オタクとアニメの無限とループと同じなのですよ。

 

 なので、BL好きも、アニヲタも等しく無限ループに嵌まり込んだ子羊のようななものであると主張したい。

 

 そう主張したところで、何かがどう変わるというわけではないすがね。

 私の中ではなんだかスッキリしたので良かった。

 BL買ってる奴はエロ本買ってる奴って認識でいいのだよ。

 それでいいのだ。

 エロ本買う奴なんて可愛いもんです。

 何も問題がない。

 悪くもない。

 むしろ良い! 

 だから、BLは何も問題ないのである。

 このまま、順調に発展して行っていい文化である。

 それだけは、間違いないと太鼓判をアニヲタの私はする!

 

 以上、エニウェイ!

 

鉄腕バーディーという神漫画を考察する 生き物はみんな、最後は死ぬんだから、それまで何があっても平等でしょ!

 

[まとめ買い] 鉄腕バーディー(ヤングサンデーコミックス)

 

 世の中に面白い漫画は沢山あります。

 僕が面白い漫画と定義する上で一番大事なのは読み終わった後に、また、読みたくなる気持ちが生まれるかどうか?

 

 というのがあるのですが

 ゆうきまさみ閣下の作品。

 鉄腕バーディーが僕は最高に大好きなんですね。

 涙が出るくらいに......。

 

 なので、

 ちょっと鉄腕バーディーを紹介させてもらう。

 

  鉄腕バーディーというのはこういう感じのお話。

 

 地球外で高度な文明を持った人類がいました。

 地球外の高度な文明を持った人類は機械に自我を持つ量子コンピューター、スパコン共に管理されてました。

 

 自我を持つコンピューターの目的は人類の恒久的な繁栄と調整、最適と維持管理。

 

 と、いった感じ。

 ただし、高度な文明の根幹的な部分はコンピュータの自我が管理して、それを人類の管理下にはおけないというもの。

 

 

 作中では、

 

 Q体を利用した超並行演算とピンホール物理学と記述してありました。

 

 ワープとかそんな技術

 宇宙船とかそんな技術

 ネットよりも超すごい情報通信技術

 すんごい遺伝子操作系の技術(スーパーマンとか作れちゃう系のやつ)

 

 

 ざっくりいうと、

 コンピュータが管理する高度な外宇宙の人類が今の現在の地球人類と接触するサイエンス・フィクション系の物語です。

 

 一言で言うと、

 宇宙人との超接触もんですな!

 

 んで、

 宇宙人の中にですね。

 コンピュータに管理されている世界が嫌! 

 コンピューターに管理されている、支配されている。世の中が嫌だ! 人間様をなめるなよ! というキャラがいるわけですよ。

 

 高度な文明がなくなってもいいから人間を支配するコンピュータはぶっ壊したいと思うわけです。

 

 僕らの感覚で言えば、

 

 国家に管理なんてされたくない。

 税金も払いたくないし、

 ネットもパソコンも上下水道の管理も電気の供給も国家に管理されたくない!

 法律も警察も超法規的な活動の前には意味もないなんて許せない!

 国家を管理する側を滅ぼしたい、国家の管理や統制から外れて、

 自分達の手で、個人個人が生き方の自由を追求したい!

 税金の徴収率、分配率、様々な文明的な恩恵を管理して統制されたらたまらないし、許せないとか思う感覚が似ているかな。

 

  テロリストは言う

 人間は自由であると、

 苦しむのも、苦しみから抜け出す努力をするのも、新しい道を切り開くのも自由であるべきだと。

 

 その基準をコンピュータがきめんじゃねーと。

 そんなコンピュータはキモイからぶっ壊すべきだ!

 

 そういう、宇宙人が地球に逃げてくるわけです。

 それを、追って、

 コンピュータに管理されている側の宇宙人も地球に来るわけです。

 

 コンピュータに支配された世の中を嫌だと言う人間は、コンピュータが管理する世界には都合が悪いわけなんですよ。 まあ、当然ですな。

 コンピュータ側に

 異端認定されて、裁判なしで死刑判決確実なんですね。

 そういう世界観が鉄腕バーディーなんですな。

 

 支配者からすれば、支配されるのが嫌だ、嫌だからぶっ壊すなんていう人は、テロリストなんですから、都合の悪い存在になるわけですよ。

 

 

 クリステラ・レビさん。

 この人が宇宙的なテロリストです

 コンピュータによる支配は嫌だと仰る方です。

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 そこに、コンピュータの支配する側の人類。

 宇宙連邦の警察が来るわけです。

 

 バーディさんがくるわけです(主人公)

 バーディー シフォン アルティラさんがくるわけです。

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 バーディーさんは

 レビ様を逮捕するために、くるわけす。

 その際に、地球人の民間人を巻き添えにしたりして、

 かなり、紆余曲折するんですけどね。

 更に、スパコン側はレビ様を殺すために、

 バーディーさん以外にも沢山の暗殺者の人類を送り込んだりします。

 自爆も辞さないレベルの狂信者的な暗殺者もいます。

 レビ様一人を殺すために、かなり手段は選びません

 宙から地球に砲撃をぶっ放したりもします。

 

 目的のために手段を問わない者を化物というならば、

 コンピュータ側はまさに化物ですね。

 それを倒すためには、化物にならないといけませんと

 レビ様は仰ります。

 それが、正しいかどうかは僕如きでは分かりかねます。

 暴力を暴力で解決するしかない世の中で生きてるなら、

 正しいような気もしますがね。

 

 

 そんで、なんやかんやでね。

 クリステラ・レビ御大将閣下の超頭が良いので勝ちます!

 策略と機転により量子コンピュータの破壊に成功!

 スパコンの支配が終焉を迎えます。

 

 んで、

 高度な文明。

 ワープとか超すんごい情報通信技術とか、色々と量子コンピュータに頼っていた技術が使えなくなります。

 

 その後、宇宙人と地球人達が混ざって生活するようになるんですが、そこで、物語は終わりです。

 

 ちなみに、宇宙人は人型だったり、虫型だったり、爬虫類型だったり、犬型だったり、ネズミ型だったり色々いるんで、色々とすんごいです。エピローグで地球は宇宙人の犯罪が目立つシーンで終了します。

 ちなみに

 この女性型の宇宙人のビジュアルがすんごい好きでした。

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 まあ、まあ、それは良いとして。

 良いとしてなんですが、

 

 

 この漫画を読んで思うことは色々あるのですが、今日は支配者から支配を拒む、支配者をぶっ殺すということについて、色々と思うところができたんですよね。

 

 この作品、鉄腕バーディーでは宗教があるわけすね。

 

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 生き物はみんな死ぬんだから、それまで何があっても平等でしょ!

 幸せな人生を送ろうが、不幸な人生を送ろうが、

 奴隷として生きようが、人殺しをして生きようが、

 人を沢山助けようが、お金持ちになろうが、

 権力者になろうが、英雄になろうが、

 イケメンになろうが、醜女に生まれようが、

 頭が良かろうが、悪かろうが

 最後はみんな死ぬのだから平等って話。

 

 

 生きている間の不公平なんて、死んでしまったら同じなんだから、気にすんなよなという考え方ですね。 

 

 でも、生きている間に良い生き方をしたほうが、死んだ後にお得なことがありますよとかなんとか。

 

 良い生き方がなんなのか、その定義はよくわかりませんが。

 みんな死ぬんだから平等、それ以外の不公平なんて知ったことではないという宗教があるわけです。

 

 

 ただ、実際には、量子コンピュータが生き方や思想に干渉してくる。

 迫害や不公平のバランスを調整をしてくる。

 人類が最適ではない行動をしている判断すれば干渉してくる。

 

 支配者が人々の生き方を左右するなんて、コンピュータ如きが人類の調整や管理をするのは許せんってレビ様は怒るわけです。

 

 まあ、怒りは当然ですな。

 

 コンピュータが決めた。最適であるという人類の枠組みに離反するならば、コンピュータが人類を手段として人類同士を殺し合わせたり、憎しみ合わせたり、貶めるなんてのは許せんってなる気持ちも分からないでもない。

 

 だけどね。

 コンピュータだろうが、人類だろうが、人類の上にいる存在がいたしても、そんな存在は誰であっても許せんだろうって思うのが僕だったりする。

 

 例えば、

 生まれながらに、上の者の逆らってはいけないとか、王様に逆らってはいけないとか、権力者に逆らってはいけないとかを、先に生まれた人間に逆らってはいけないという、考え方を教え込まれる教育とかをされるのは、支配と何も変わらないと思う。

 

 で、よく思うのが、人は生まれたらみんな死ぬから平等だよねってのはまだいい。

 

 いや、まあ、現代では、人の命もお金次第で変わってくるからアレなんだけども、

 お金があるから、長生きできる人もいれば、お金がなくて短命で死ぬ人もいるわけだけども、一様は、みんな死ぬらしいから、死んだら平等ってのはいいとしよう。

 

 んで、

 生き方の平等っていうのを保障しないのも分かる。

 人に好き嫌いはあるし、それを平等にするなんて難し過ぎる話です。

 スカトロマニアと同じ趣味に今すぐなれと言われも。僕には無理な話だ。

 同性愛者に今すぐなれと言われも無理な話だ。

 そういう人もいるってぐらいなら、平気だけどさ。

 

 けども、生存という一点においては平等であるべきだと思う。

 生まれてきて、死ぬまで、もしくは死にたいと思うまでは自分の身体の維持管理だけは貴賎を問わずに保障されている世の中が人間にとって最適だと思う。

 

 しかし、現代はどうだろうか?

 

 人はあらゆる事に支配されている。

 お金に支配されたり、

 権力に支配されたり、

 親子関係に支配されたり、

 法律に支配されたり、

 

 支配下の人間が支配者に逆らうと生存すら困難な局面にさらされたりすりし、脅される世の中なのが現代社会である。

 

 そんで、支配を担保にしているのは暴力なわけですよ。

 

 上が下を支配するという構造は現代の社会でも同じである。

 人が人を管理して支配する世界もまた、恣意的であるし、不平等が多い。

 しかも、支配の担保をしているのは権力という暴力装置だ。

 最悪やんけとか思うわけですよ。

 

 それなら、高度な文明を担保にコンピュータに管理してもらってる世界の方がまだましな気がする。

 

 それはそれで、コンピュータの管理や判断基準で左右されるからたまったもんではないから、反発を生むかもしれないけども。

 

 現代社会が、富のバランス調整の上で成り立っているというならば、そのバランスと分配調整をコンピュータに最適にしてもらたいところである。

 

 最適基準は一人が持てる富の容量の下限と上限を決めて管理するみたいな世の中。

 

 でも、そんな世の中になったら、つまんなくなんだろうなー。

 

 すんごい不幸も、すんごい幸福もあるから、

 不平等があるから、いろんなことが成り立つわけで。

 

 死ぬまでに、何が起ころうがそんなことはやはりどうでもいいわけで。

 

 みんな、死ぬわけだから平等ですよってのは間違いないなーと思うには思う。

 

 人間が不老不死になるくらい科学技術が発展して、不老不死な人間が管理者となるような世の中なら不平等を訴えたりするのはすんごく正当性があるとは思うけども、そうでない世界なら、何者が支配者でも個人的にはどうでもいいことにも思える。

 

 なので、人類の次なるステージはやはり、不老不死しかない!

 

 人類の一部が不老不死なったら、不老不死が一部の人間だけが許されていいわけがない! その権利は人類全体が持つべきだ! と大きな声で叫ぶことが出来るなーと思うわけです。

 

 というわけで、人類の一部が不老不死で不老不死じゃない人間が不老不死の人間を羨んで、嫉妬して、人類全体を不老不死にするか、不老不死を撲滅するかとかいう作品を読んでみたいなーとか思ったりもする。

 

 と、余談はおいておき、

 

 僕は支配者がいるとすらならば、コンピュータに人間の最適を行って欲しいかなーとか思ったりする。

 

 人間に支配されるよりは、

 コンピュータに支配されたい。

 

 条件としては

 個人個人が快適に生きていける数値を基本にして

 それを基準にコンピュータに支配されたいなとか思う。

 

 同じ人間如きに支配されるより、優秀なコンピューターに支配されたい。

 

 なんか、そんなこと思うのでした。

 夏だからかな。。。。。。。

 

自分がされたら嫌だけども他人にするのは許容できるという考え方はわりと当たり前なのでは?

 

 昔からよく言われたりします。

 

「自分がされて嫌なことは他人にしちゃいけないよ!」

 

 そうですねと僕はいいます。

 

 しかし、心の中では

「えーーーーーーーーーーーーーーまじでーって!」

 

 なります。

 

 僕は自分がされて嫌なことは結構あるわけです。

 でも、自分の代わりに自分の嫌なことをやってくれる人達のおかげで、生きていると思ってます。

 

 お金を対価として、代わりに色々なサービスを色々な人々から提供していただいているわけです。

 だから 自分がされて嫌なことを他人しちゃいけないなんて大それたことは言えないわけです。

 

 そんなことは、難しいでしょと思うわけです。

 

 お金という対価を他人に支払うことで、

 自分でやるべきことを他人に肩代わりさせることが出来る現代で、何を言っているだとすら思ったりもする。

 

 

 そういうことが言いたいんじゃねーよ!

 と、言われるのは分かっているのです。

 

 しかし、僕の納得のいく回答を持つ人は世の中には、いまのところいません。

 

 こんなちっぽけな疑問すら解消できずにいる自分が情けなくなる昨今です。

 

 

あらゆる人類は俺と対等 もしくは下 上はあり得ないという思考と現実

 

 最近、自分はサイコパスか精神病なんではないかと悩むわけですよ。

 

 何故ならば、どうしても他人を対等か見下してる、上位の存在にもってくることが出来ないからです。

 

 勿論、あの人すげーなとか。 

 羨ましいなとか、

 優れているなとか、

 

 思うこともあるわけですし、認めることもあるのだけれども、自分の命は、どの他人よりも優先されてしかるべきだし、対等な存在はいても自分より上位な存在がいてたまるかと思うわけですよ。

 

 そんな自分はちょっと、おかしいなと思わないわけでもないんだけども、そうでもないんじゃない。

 

 そう思うならそうなんだろう。自分でそう思うならそれでいいと思うわけです。

 

 でも、そういうふうな思考でいると、現実ではストレスばかりです。

 なんで、言葉を選んで適当に笑顔をつくり、外敵を増やさない努力をしないといけないのだろうとか、いや、勿論、ながら、外敵を増やさないで友好な縁を紡いで行くのは人の中で生きて行くには必要な処世術であるわけですよ。

 

 余計なトラブルに巻き込まれないためにも、自分がそう思うのであれば、他人もまた、そうである可能性は否定できないわけで、自分よりも下に相手を扱うような真似はしないほうがいいわけなんですが、これが、なかなか難しい。

 

 対等な関係性といのが難しい。

 

 対等な関係性を構築するにはそれに足る資質や能力が必要なんですが、人間はそれぞれ、得意な事、苦手な事、スキルが違うわけで、それを比べっこするのが日常的です。

 

 そこに、優劣が存在する限りこの手の悩みはなくなりずらいわけです。

 

 そんなことで悩んでいるより、好きなことに没頭して気にしないことがベストわけですよ。

 

 でもね

 

 好きなことに没頭するには、お金が必要なんですよ。

 だから、ベーシックインカム早く導入して、働かないで好きな事だけやれる社会になって欲しいです。

 

 本当にそう思います。

 

 生きるってつらいなー・

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久しぶりに人ともめた話 怒らせるのが悪いのか、怒るほうが悪いのか? どっち?

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 僕はあんまり怒らない人だと思っていたのですが、

 たまにはイラっとくることがあるのですよ。

 

 そんな話です。

 

 今、学校に僕は通ってたりするのですね。

 学校に通うと、それなりに人付き合いはあるわけです。

 

 休憩時間にたあもない話をするわけですが、

 そんなおりにイラっとくることあるんですよね。

 

 今回こんな感じ。

 

 僕は言われるのが嫌なことがあるのですね。

 

 具体的には、そうじゃないのに、そうだとして決め付けてくるようなこと。

 

 しかも、

 否定してるのに、何度もそうであると決め付けて言われ続けること。

 

 

例えば、アイドルが好きでもない僕がいたとする、その僕にアイドル好きだろうとか言ってくる人がいて、本当にアイドルが好きじゃないと切り捨てて会話を終わらせようと思い「好きじゃないですよ! 変な誤解しないで欲しいです」と返す。 

 

 なのに、何故か「好きなんだろう」とか言ってくる奴。

 

 

 何故なんだ? アイドル好きなんて一言も言ってもない。

 見た目がアイドル好きなような容姿なのか?

 それだとしても、常にクールビズで身嗜みをきっちりしてる人間に

 

 アイドルが好きなんだろ! とか言ってくる奴が世の中にはいたりする。

 

 相手をするのが面倒だから、僕はアイドルは好きじゃないですから、事実と違うことを真実かのように、言うのはやめて欲しいと言葉を返す。

 

 そういうと、その日だけは言われなくなった。

 

 しかし、次の日に、また、言われる

「アイドル好きだろう?」

 

 また、違うと説明して、同じ説明をする。

 その日は言われなくなる。

 

 しかし、数日後にはまた「アイドル好きだろう!」

 とか、言われるわけである。

 

 もう、そのネタ一ヶ月だよ!

 

 だりーよ。

 そうだよ! とかいって話を広げたらのいいのか?

 でも、面倒なんだよ!

 しかも、僕はアイドルが好きでもなんでもないんだよ。

 

 好きなのは、漫画とアニメとゲームと小説家になろうなんだ!

 

 そういう、説明もしたのだが......。

 

 また、数日後には「アイドル好きなんだろ!」

 とか言ってくる。

 

 なので、僕は言う!

 

「僕は以前に、違うと否定したのに、何故同じことを言うのですか? 僕が言ってる言葉の意味が分からないのか、僕を侮ってるのか、貴方には学習の能力がないのか、どれなんですか? とついに言ってしまった」

 

 そしたら、その人は、普通に、ごめんねとおれてくれた。

 これからは、言わないように気おつけるよと言ってくれた。

 ただ、習慣的に言ってたから、またつい言ってしまったらごめんねと言われた。

 

 アイドルを好きでもない人間に、アイドルを好きなんだろうと言うのが習慣って、なんだそりゃ! 習慣とは恐ろしいものである。

 

 まあ、それはいいんだが、

 

 だか、不愉快な気持ちは残る。

 僕は、人に厳しい言葉を吐くのはストレスが溜まるのだ。

 だけども、言わないと変わらないなら言うしかないのだ。

 

 アイドル好すきなんだろうと言われて、好きでもないのに、はいそうです。

 と、言ってどうするのだ? 違うといい続けるのがコミニケーションか。

 

 そして、いったんは解決をみたのだが、

 今日は周囲に空気の読めないクラス一の問題児君がいたのですよ!

 

 そしたらさ、

 問題児君がさ、

 そこまで、言うことないじゃないですかと言ってくる。キレルポイントがわかんないよと言ってくる。 口調は厳しかったかもしれんが、怒ってるわけでもないんだが、何故か割り込んでくる。

 

 いや、問題児君、貴方いったいなんなのだ!?

 まじに、死んで欲しい。

 事情も知らないでわけしり顔で掻き回すな。

 

 僕はへんないいがかりを言うのやめてくれと 言った。

 しつこいから、更にあいてに言うのをやめてくれと言った。

 

 そして、相手は認めた。

 

 なのに、横からしゃしゃり出てくるなよ!

 

 当然、ながらクラスの問題君はスルーされたわけだが。

 

 という、ことが今日はあったのさ。

 

 

 んで、個人的には相手が不愉快だから言わないで欲しいと言われたなら、基本的には言わないのが当たり前だと思うんだよね。

 

 それでも言ってくるのは、やっぱりおかしいよな。

 

 と、我は思うんだが。

 

 どうなんだ?

 

 

 

熱中症は儲かると解いてみると その心は 風が吹けば桶屋が儲かる

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 はてさて、皆様、暑いなかではございますが、調子はいかがですか?

 

 今年も暑いですね。

 夏ですから、そんな暑い夏なのですが、この時期になると熱中症という言葉がポンポンといきかうわけですよ。

 

 そんな夏の時期ですが、熱中症で人が死んだりすることもあるわけですね。

 熱中症という言葉。

 

 この言葉が流布しだし始めたのは1995年だとかどうだとか、

 僕は35歳なわけですが、その頃にはあまり聞きなれなかった記憶がある。

 

 まあ、それはいいんだけども、それよりも日射病とかいう言葉と脱水症状とかそういうものに気おつけようというのが僕の若かりし頃は一般的だった。

 

 まあ、ある意味夏で暑くて汗をかいて、少々身体がだるくなるのは当たり前、学校の全体朝礼で、お決まりの誰かが何人か倒れるのは当たり前だったわけですよ。

 

 幸か不幸か僕の学生時代の知り合いで、日射病とか脱水症状でお亡くなりになった人はいないわけなので、熱中症というものは日射病のそれに劣るという認識でしかないのだが、それでも、熱中症で人はお亡くなりになれるわけです。

 

 正確には日射病と熱射病はまたカテゴリー分類が分かれるわけですな。

 医療用語は日々色々な発見で色々と言葉が増えますから.......ようしらんけど。

 

 多分、昔でも熱中症という言葉が流布してない時代でも、夏の暑さで身体を悪くして死んでしまう人もちらほらいたのでしょう。

 

 しかし、稀だった。

 そして、今でも熱中症でお亡くなりになる人は稀だと僕は思ったりする。

 夏の暑さが原因で死亡する人間の数というのは、あまり変わらないような気がするのですよ。

 

 でもね、熱中症で人が死んだ!

 これを、大々的に発表する。

 

 そうすると、熱中症怖いなー

 対策が必要だなー。

 水分はこまめにとらないとなー

 暑さ対策しないとなー

 出費が増えるなー

 という感じになる。

 

 基本的に暑さ対策という大義名分を得て、水分は売れて、少し体調が悪ければ医者に行き、暑さ対策グッズの売れ行きがあがるとうい図式が見えてくる。

 

 風が吹けば桶や儲かるという言葉がある。

 

が吹くと土ぼこりがたって目に入り盲人が増える。 盲人は三味線で生計を立てようとするから、三味線の胴を張る猫の皮の需要が増える。 猫が減るとねずみが増え、ねずみが桶をかじるから桶屋がもうかって喜ぶということ。 大風が吹けば桶屋が喜ぶ。

 

 別に、熱中症という言葉を沢山の人が意識して、色々な経済活動が促進されることが悪いことではないし、熱中症に対する意識が高くなって一人でも人が死なずにすむのは良いことだとは思う。

 

 夏のクソ暑いなかで、熱中症の対策の一環だということで、環境を良くする試みやなんやらは非常に良いと思う。

 

 でも、夏の暑さが原因で熱中症になって儲かる人が増える。

 そんなことを思ったりしたのでした。

 

 だからなんだというわけでもないのですが、

 皆様の健康とご多幸をお祈りします。

 

                                   以上!

 

仕事を辞めたて職業訓練に行こう!!!

 私は3月31日を持って仕事辞めたのですね。

仕事を辞めた理由は色々あるが、結論的には辞めたくなったからである。

それ以上でも以下でもない。

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 しかし、仕事を辞めたら食うに困るという日本国の奴隷的な身分である私は何かしてお金を得ないといけない。やだなー。 ベーシックインカムが導入されて働かないでブログだけ書いているだけで月に20万くらいくれないかなーとか思う限りである。

 

 だが、現状そういう状況でもないので詮無きことである。

 というわけで、ろくな資格もない学歴もない再就職も難しい僕は職業訓練に通うのである。職業訓練といっても色々あるのだが、電気関連の仕事をしていたので、その関連で電気関連の職業訓練を受けることにしたのである。

 

 試験はなんとか合格。

 職業訓練校の試験はペーパーテストと面接。

 中学レベルの数学と呼べるか怪しい算数の知識と社会人経験を活かした面接力でとりあえず足きりには引っかからず入校を許可されたのである。

 良かった! 良かった! 月にもらえる金銭の額は半分くらいになるが1年は食いつなぎながら勉強ができる。さらに、資格もとれて良い職場に転職できる可能性は少しあがるかもしれない。

 現状は年収が380万円くらいだったので、職業訓練を終えて400万円くらいの仕事にありつけたらなーと淡い願望を抱く限りである。

 

 そんなこんなで、仕事を辞めて職業訓練に通うわけですよ!

 えええ!

 通います。

 30後半のおっさんが職業訓練に通うわけです!

 30歳後半、彼女も彼氏も家族もおらず、趣味はアニメとゲームと漫画である。

 友達と呼べる人間も少ないこんな僕だけども、職業訓練に通って少しでも良い未来に向かって努力して行きたいものである。

 

 平成30年4月5日 ねここね