ねここねの思考手記

主にアニメ系 漫画系 らのべ系のサブカル系が中心です

何故人は無駄なことを繰り返すのか? それは無用の用である。

 スマホの画面に今貴方は何が映ってるだろうか? その情報は今現在貴方にとって有益な情報だろうか? 無駄な情報ではないか? すでに知ってる内容ではないか? 毎日、毎日、繰り返される無駄な情報に踊らされているような感覚を持つ私ですが、皆さんもたまにありませんか? 自分は今凄く無駄な時間を過ごしていると思いながらもその行為をやめれない! あまつさえ繰り返し行うなんてことは日常的に誰もが体験することではないでしょうか? 超合理的主義で無駄を排して生きてるような人とは無縁な事かもしれませんが、私は時間を無駄に消費してるなと自覚しながらもその行為をやめることができない人です。人生無駄ばかりです。

 

 人生で無駄と感じることが多いと思う人はそれに損失を感じ、自己嫌悪や罪悪感に苛まれたりします。それで精神が病む人だっているくらいにこの問題は実は根深いものなのですが、気にしない人にっとてはそうでもないようなことでもあります。しかし、無駄なことは必要であるという救いがあったります。中国の古い思想の大家が老子はこう言いました。

 

 無用の用であると。

 

 無駄だということ事態に意味はあり、無駄というだけでそれは既に用を為し得ているとおっしゃるわけです。

 

 壺や器に空間があるのは何かを入れるために必要だからである。空間という無駄がなければ壺に何かを入れることはかなわないし、部屋にスペースがなければ何も物を置けないし寝る場所も確保できない。要するに必要な無駄というものがこの世に存在するということである。

 

 では、スマホでどうでもいい自分にとって関係ない情報をあさってる無駄な時間がどのように無用の用になるのだろうか? これが個人的にはひっかかる。

 スマホでどうでもいい情報を得るくらいに自分の時間が余っているということを自覚せよということなのだろうか? その無駄な時間を自覚して他に割ける余裕が貴方にはあるはずだと自覚するためにそう思うのかもしれない。

 要するに自分の余裕の確認作業である。

 きっとそうだ。なので自覚して今日この日から改めてよう。

 これは時間の無駄だと思ったなら、それは日頃の行いを改めて自身のやるべきことを見直して目的に向かうように行動する。

 そのスイッチとする!

 それが無駄を無駄にしないということなのかもしれない。

 

 なので無駄と感じたらそれが本当に必要かどうかを考えるきっかけであり天啓だと思うことにする! それで無駄が活かせるというものである。

 

 そう思うことで今日は少し納得できたでござる。

 

 アーメンラーメンチャーシュー麺!

 以上

老子 (岩波文庫)