最近ですね。
いじめの時間っていう漫画を読むことになりまして。
まあ、この漫画はなかなか酷いもんです。
主人公が中学生でDOQにいじめをうけて、自殺するぐらいに追い込まれるんだけども、そこから死ぬぐらいなら、復讐するというかたちで立ち上がり、いじめっ子を拉致監禁して、そして、そのいじめっこの彼女もスタンガン等で気絶させて裸踊りをさせたり、お漏らしさせたりと、いじめられっこがいじめっこに復讐するという漫画なんですよね。この漫画。
僕はこの手の漫画が好きではないですね。読んでも不愉快になるからね。でも、ついつい読んでしまう。いじめられてた人がいじめた人を拉致監禁して、その彼女にも酷いことして、そのいじっめ子の女も共謀して主人公をいじめてたし、その他の生徒にもいじめしてたので、恨まれて当然なんでしょうけど。
いじめが何故起こるのか?
色々です。
根本的なところは弱肉強食の論理が働いてる側面が強いかな。
強いと弱いは色々とたゆっているけども、身体の自由を奪われて拷問されたりしたらもう、立場は明白ですよ。
それこそそれは、いじめとかのレベルじゃないけどね。
立場に差が生じる状態が存在するのだからいじめなんてなくならない。むしろ意図的に効率よくいじめがおこるように社会は出来ているというレベルの話なのですよ。
そんなことはどうでもいいんですよ。
いじめがあり、残酷なことを人が人にするってのはなんでやねんって話が一番気になるのですよ。
それも、あれか。一番の理由は他人を殴っても自分の身体は痛まないからでしょうね。他人を殴った瞬間に身体に電気ショックが走って3倍の痛みを受けるとかいう仕組みがあるなら、誰も他人をどつかないだろう。損得勘定が出来ない人間はやるかもしれんが少数派やな。
とういうわけで、他人を拷問したり監禁したり、殴ったりできる理由は自分が痛みにおけるダメージを受けないからだと断定できるな。
じゃあ、本題だ。
そういった、拷問とか拉致監禁されている状況に興味をもったり、見たりしてしまう欲求はどこからくるのだ?
他人が拷問されている姿なんて別に見たくないだろ?
拉致監禁されて卑猥なことをされたり要求されたりする女性をみたいかね?
答えは
イエスだ。
それなりに需要があるジャンルなのだよ。
いじめや、拷問はおいらも不愉快になるが、そういったシーンをみて感情が揺さぶられることがあるのは否定できないのだ。
でもな
自分がされたら嫌だし、自分の大切な人がされるのも好まない。赤の他人でもそれは同じだ。優先度は違うがね。
他人にたいして、暴力を振るったり、拉致監禁したり、弱みを握ったりして理不尽な要求を通すということに快楽を感じる人は世の中にいるんだろうか?
いるんだろうな。
気持ち悪いな。
なんなんだろうな。
自分がされて嫌なことでも他人におしつけてしまえば快楽になるという状況は常々あるのだが、わざわざ、殴ったり、脅したり、拉致監禁したり拷問したりする人間は正直なところ怖すぎる。もっと他に面白いことあるだろうに。
でも、それが楽しいんだろうな。
だから、やれるんだろうな。
怖いな。
というわけで、人は何故に残酷なことができるのか?
ということの答えは
楽しいから残酷なことができるです。
娯楽なんですよ。
そういうことなんでしょうね。
怖いね。
正直なところ、中世とかの時代ならまだしも、この平成の世の中で人間を殴ったり、脅したりすることに快楽を見出す人間がいるてんて嫌だなーと思うな。
そういうのは、フィクションの中だけでしてほしい。