ねここねの思考手記

主にアニメ系 漫画系 らのべ系のサブカル系が中心です

コロナウィルスで感染者を何故隔離するのか。。。

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 適当に思ったことです。

 ウィルスに感染したとします。空気感染するようなウィルス。人から人に感染して増殖するウィルス。密閉空間に30人くらい人がいて1人でも感染してる人がいるならば、一気にウィルスは30人全員にしっかり感染した場合。その密閉空間のウィルスの密度は凄くなりそうですね。

 

 人から人に感染して移ることでどんどんウィルスが増殖していくわけですね。

 そんなのは、季節風のインフルエンザもコロナも一緒。風邪症候群の中のウィルスの一つに過ぎないのでコロナだけ警戒するってかって話ですよ。

 

 インフルエンザウィルス、その他の風邪症候群ウィルスは抗体を持ってる人が多くいたり、薬があったりする。コロナには一様ながらアビガンが効くらしいが妊婦には仕えないとかどうとか。ふむ。

 

 他の風邪のウィルスに比べて感染して免疫が負けてしまうと、それに対する対処療法がいまいちなので、死んでしまう確立が通常よりも高い病気なんですよね。つまり、免疫に能力に問題のある人。遺伝的に免疫が弱い人、基礎疾患を抱えてる人。なんかコロナでばたっと行くとそのまま逝ってしまうのでやばいよねって話です。

 

 なので、空気感染してしまうウィルスだけども、できるだけ人から人に移してその量を増やさないように隔離するという手段をとらざる得ないだろうけども。それがうまくいかないわけです。

 

 何故なら、感染しても元気な人も沢山いるし、自覚症状もない人いっぱいるわけです。自分が感染して病気になって当事者としてしんどい思いをしないと人は行動改めることは難しいです。むしろ、感染して死んでしまうのは免疫が弱い責任であるという考えの人すらいるかもしれませんね。

 

 だがね、この地球上からコロナウィルスを撲滅ってインフルエンザとか風邪を撲滅することができるのか?って話ですよ。なかなか難しい。なんせ、感染して菌を保有してるかもしれない人は今も爆発的に増えているわけです。

 

 なので、重要なのは感染しても治せる病気として扱えることが重要なんですが、なかなかそれが難しいし、時間を必要とするわけですね。そして、時間が稼ぎの間にできるだけ人が死なないようにできる対策は、感染拡大を防ぐための引きこもり提案なわけですね。

 

 今の状況だと、コロナに感染したら死んでしまう人が結構数がいるので感染拡大=死傷者が増える。でも、人間は死ぬ時は死んでしまうので。コロナに殺されるか貧困に殺されるか、刺されて殺されるか、先のことは分かりませんです。

 

 でも、コロナを人に移したから人殺しとはならないので、嫌な奴がいたらコロナにかかって積極的に移しにいって復讐に有効利用する奴とかいるんだろなぁーとか思うんですよね。

 

 そして、そのうち、コロナ殺人事件とか言われんのかねー。

 

 やだやだ。

 とか思う今日でした。

 

 

貧乏で暇だとろくなことを考えない

 

 貧乏で暇だと、ついついこういうことを思ってしまう。何処の誰でもいいから金持ちを無差別に殺してまわるような人がいないかなぁーと。さりてと、本当に心の底からこういうことを思うかというと、そうでもない。それに、そういうことが起こってもあまり、自分に利益もない。だけども、そういうことを思ったりするのだから不思議である。 何故だろう? 考えるに、富裕層だったり、お金持ちだったりするような人が富を占有するから、自分にまわってくる富が減るから邪魔に感じるからではないだろうか? 自分が労働するたびに労働の対価を搾取されていると感じるからだろう。

 

 どうしたったって、富裕層や権利を持ってる人に富を吸い上げられるシステムの中で生きていると思い込んでいきているからだろう。富を吸い上げるのは富裕層でありお金持ち達である。自分がそっちが側にいけないので、そっち側にいる人が目障りでしょうがないから、死んでほしい、誰かに殺して欲しいと思ってしまうんだろうなぁー。

 

 だとしても、どんなにお金をもっていても、富裕層だろうと、権力者だろうと、みなそろぞれ、そのレベルの階層で苦しんだり、悲しんだり、手に入らないものがあったり、どうしようもないことが日々起こる。生きてりゃ何かしら理不尽な目にもあうだろう。だとしても、誰が金持ちをガンガン殺してまわってくれたらいいなぁーと思い続ける私はなんだろう。 イカレなのだろうか? 

 

 自分にとってなんの特にもならないのに、お金持ちが死んだらいいなぁーて思う気持ちがしゅわしゅわ沸いてくるのだからなんとも不思議である。そして、私はそういうことを思うが、実際に自分で誰かを手にかけるなんてとてもじゃないができない。流血は好まないし、何かで競うこともしない。馬鹿にもしない。

 

 それでも、お金持ちが死んで欲しいと思ってしまうから不思議である。

 そういう人って他にもいるんですかね?

ある日、突然後ろから刺されて死んでしまう可能性を否定できないけども、それでも生きていたいと思います。

 

 昔、コンクリート詰め女子高生殺人事件ってのがあったのですよ。これは詳細を読んだ時に犯行に及んだ加害者の少年達に対して本当に許せなくなるほどの気持ちが僕の中に生まれたことは今でもよく覚えています。人間は暴力によって弱者を支配して酷いことして楽しんだりする極めて残酷な顔を持っている。勿論、程度の違いはあるし、その程度の違いが酷さの違いなんですけどね。

 

 貧乏な人がいて明日のご飯を心配するレベルで貧乏な人と、明日のご飯の心配するほどでもないけども、大きな怪我や病気なんかしたらお金が足りなくてまともな医療を受けることが出来ないレベルの貧乏な人、もう少し裕福な人。年収で言えば、100万以下だったり、200万以下だったり300万以下だったり、1000万以上もらってたり、とかお金のあるなしにも程度というのがあります。その程度の差は大きな差になって人生を変えます。

 

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 私は川崎の殺人事件の事を知ってから毎日のように川崎の殺人事件のことを考えてしまいます。池袋の暴走事件よりも考えてしまいます。比較することではないですが。しかしながらこの事件、他人を殺して、沢山の人を傷つけて、自分も最後には殺してしまう。成人した大人がやろうと思って行動すれば、大多数の人間には難しいことではないしょう。精神的な制約がなかったり、損得勘定を超えたところに意識がいっていることが前提にはなりますがね。

 

 無警戒の男性を後ろから包丁で刺す、近くのバス停の子供を包丁で切りつける。そんなことを警戒して生きている人はいませんから。これをやられたら、やられた側はまず対処不可能です。やる側はヤル覚悟を決めて実行するだけです。本人がとまらない限りこの手の犯罪は防ぐのが難しいのが日本という国でしょう。それだけこの国は日常の安定的な平和が浸透しているし、安全だともいえます。

 

 誰も、日常のシーンでいきなりナイフを突きつけられるなんて思いません。警戒する必要もないというのが当たり前なのが日本という国なんでしょう。だけども、いきなり後ろから包丁で襲ってくる人間はいるんです。そして、そういう人間は少ないです。

 

 しかし、確実にいる。いや、いた。になるかな。しかし、一人いたら他にもいるんじゃないか? この不安が人を脅します。ある日、後ろから突然包丁で襲ってくる人間はどういう奴なんだ? これが気になる。 そして、似たような特徴を持つ層の人間は予備軍なんじゃないか? という思考になります。そして、そうなる前に何か手を打つしかない。間引いてしまおうと思う人も生まれます。

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 この事件はそういう人が起こした事件にあてはまりますかね。結果論に過ぎませんが、事実こういうことが起こりました。「息子が危害を加えるかも」という不安で親が子供を殺してしまってます。家族には家族の問題があり当事者間にしか分からない動機があります。ですが、親が子供を諦める。そして殺してしまうというのはなんとも言えない悲しみがあります。ですが、この悲しみは当事者達のものです。僕のものではありません。ですが、川崎の殺人事件が大きく報道されたことで起きた殺人事件だとも言えます。

 

 川崎の殺人事件の報道を聞いて不安になり引き金となって息子を殺す親がでる。それをまた、報道する。そして、またそれが引き金になって今度は、親を先に殺すという事件が起こってしまうのではないかと僕は思ってしまったりもします。報道されないだけで親が子供を殺すのも、子が親を殺すのも日本全国的に見ればあります。毎日のように裁判に関わっている人達、趣味で裁判の傍聴している人達はそれを知っているはずです。

 

 

 ですが、ある日突然、後ろから包丁で刺される可能性のあると思うと怖くて外にいけないですよ。それでも外に行くんですけどね。それは何故かというと、ほとんどの人はある日突然、後ろから包丁で刺しにはこないという他者へ信頼が前提としてあるからです。

 

 だから、これからも僕は普通に外に出かけるのだろうけども、その他者への信頼を少しぐらつかせるのが今回の川崎の殺人事件であると思います。

 

 ですがこれといって対策ないです。

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 デューク東郷のような真似するわけにも行きませんし。

 

 結局は人が沢山いて集まって暮らしているということは他人を無意識かで信頼したり信用したりする必要があるんです。そして、その信頼や信用は暴力によって担保されると同時に破壊されます。この世は薄氷一枚です。周囲の人間が自分を殺さないという薄い信頼を頼りに生かされているのが現実です・・・。

 

 殺し合いになりたくないなら、人は人と共存共栄しないとけない。そいつが生きている限り、自分は生きていけないという状態になってしまうと殺し合いに発展することは珍しくありません。そうならないように、人は色々なものを共有したり分け合うべきなんでしょう。ですが。そうは思わない人達もいます。だから争いは絶えることはないでしょう。わざと争わせてそれを楽しんだり、糧にする人さえいるのが人間社会です。

 

 今後も理不尽な事件は起こるでしょう。

 未然に防ぐのも難しいでしょう。

 明日、自分が後ろから襲われて刺される可能性も0パーセントではないでしょう。

 ですが、それでも運よく生きていられるなら明日も生きていたいなと思う人の日常は続きます。その連続した日常の奇跡が続きますように。

 

 

 

嘘か本当か、フィクションかノン・フィクションかどうかわりと重要じゃない

 

 テレビとか新聞とか、ニュースとか他人が書いてるブログ記事とか、SNSの拡散した情報なんかで自分に関わりがあるかもしれない事件が起こったり、興味を引かれるような出来事があったときに、よく思うのですよ。

 

 これは事実を書いてると言ってるけども、嘘なのか? 本当なのか?

 

 これはフィクションですと言ってるけども、本当なのですか?

 

 最近読んで思ったのはこの記事

 

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 僕はこれを読んで、まず思ったのは嫁さんを虐待を続けていた家の人は刑事罰を受けるべきだし、こんなことが許されるなんて......。 というくらいに絶句してしまいました。でも、その後に思うのは、これが嘘でも本当でも今受けた自分への衝撃はあまり変わらないのではないか? という感覚です。 

 

 事実ですと。言われてるのですから事実でいいんです。壮絶過ぎる16年間の人生です。引き取られた家で虐待を受けて、売春まで強要されて、それでも縁あって良い人に巡り合い、結婚までして、その旦那さんに漫画を描いてもらえるところまできた。

 レ・ミゼラブル的な話です。でも、レ・ミゼラブルはフィクションです。ですが、そういうフィクションの方がより衝撃的に心を動かされることが多い現実があったりする。 人は映画とか漫画とかアニメとかで嘘でも感動したり、激怒したり、それを事実と同じレベルで認識してしまうのですよ。

 

 そういう観点から行くとですね。気になる出来事や事件というのはそれが嘘か本当かというのは一般大衆からすればそれほど重要ではないんですよ。人の目を惹けるかどうかが重要であったり、それが役に立つかどうか、参考になるかどうか? そういうのが重要だったりするのですよ。

 

 

 んで、また、無敵の人があらわれましたよ。

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 路上で小学生と大人を刃物で襲う事件ですよ。しかも、犯人は捕まった直後に首を自分で刺して自殺。これを読んだときに思ったのは、人を殺して自分で自分の首を刺して死ぬ人が現実にいるんだ? ってまっさきに思ったんですよね。僕は人間って自分で自分の首を刺して死ぬっ難しいと思っていたのでビックリしました。ただ、児童を殺してなんになるんだ? って感覚もありました。

 

 加害者は50歳くらいの男性らしいです。無差別殺人ってのは知ってる人を殺すよりも精神的には楽だったりするという見解がありましてですね。人は知らない人、無関係な人を相手にする方が感情移入することなく残酷な事がより多くできてしまうらしいです。そう言われてみると。確かにそうです。よく知らない他人の子供が死ぬよりも、自分の子供が目の前が転倒して膝を擦りむいた方が大事と感じる人は多いです。

 

 こういう事件がおきてしまう。報道されてしまう。それを知ってしまうと何時か、同じような出来事が自分にも起きてしまうのではないか? そんなこと思ってしまうこともあります。ですが、今、この川崎市の無差別殺人殺傷事件に対して僕ができることなんてありません。何故なら僕は今、ウィーンでこの記事を書いてるからです。

 

 遥か、遠くの国でこの事件の報を聞いていたたまれない気持ちになっても、起こってしまった事件を起こらないようにすることはできないです。再発防止のために何か出来ることはあるかもしれませんが。ですが、この事件を知って何故こんなことが起こるのだだろうとも考えしまいます。

 

 じゃあ。なんで50歳のおっさんが児童含む16人を殺傷しないといけないのだ?

 

 そういうのは犯罪を分析する頭の偉い人が考えるんでしょうけどね。僕も少し考えます。考えるよりも、こういうのは集合知というか色々な人の意見をピックアップして考えると自分の中で納得できる意見がよく生まれたりするので、はてなブックマークのコメントで気になるの選んで考えていきましょう。

 

 

 格差が広がって、子供が「勝ち組だけが持てる贅沢品」と見なされている今、無敵の人が上の階級に一矢報いる手段としてこういう事件が増えそうで怖い。 

  kpkpkpchang

 

 

 格差が広がると、勝ち組に一矢報いる手段として勝ち組の証である子供に危害を加えるという。他人が羨ましいから他人の大事なものを壊すという。そうとう損得を超えた状態であるとしか思えない。子供を殺しても、壊しても、無敵の人は幸せになれない。いや、無敵の人の幸せが、勝ち組の人間が少しでも不幸になることだというなら「無敵の人」はもじ通り無敵の人ですよ。怖いです。

 

 

 

人生どうでも良くなった時、自分より強いやつに向かっていくやつはいない。結局どんな状況に落ちぶれたとしてもマウント取りたい欲求が最後に残る。やはり人間はどこまで行っても猿から脱却できないのだろうか? 

gnagaoka 

 

  人生どうてもよくなることなんて、僕はよくあるのですが。寝たておきたらさらにどうでもよくなるのでこの考えは良くわかりません。個人的には自分より強い奴に向かっていくのは身の程知らずだし、何かを倒そうと思ったら自分の戦力と戦う相手の戦力差を考えてから戦うのは基本なので、落ちぶれても、落ちぶれてなくても自分よりも弱い者を倒しにいくのは基本です。むしろ、自分より強い奴に向かっていくのは頭が悪く長生きできないタイプでしょう。RPGでも雑魚を倒してレベルアップしてボスよりも戦力が強くなったらボスを倒しに行かないとゲームクリアは難しいです。しかし、現実はゲームじゃないです。誰かを倒してもレベルアップはしないです。

 

 

ますます子供作りたくなくなる 

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 そうですよね。子供が狙われて殺されるリスクを考えたら子供をつくりたくなくなる。そう考える人もでてくるわけですよ。

 

 

 後、ブコメで多かったのが

 

 一人で死ねだったかな。

 

  一人で死ぬのが嫌だったからこうなったわけですよ。人間は一人で死ぬのが嫌だと思う人は一人になったらあかんのかもしれんね。

 

  ブコメを見てると色々と思うところができましたが。

 

 結局はほとんとど、大多数の人はこの事件を関心のある出来事として消費していくだけなんですよ。

 

 それだけなんです。

 それが現実です。 

 でも、それはわりと重要ではないんです。

 消費されて行くという時点で。

 残酷な現実は無自覚で何もしない大多数の関心を一時的に惹きつけるだけで何も解決しない事が多いです。

 

 虚しい......。

 

パパ活したらレイプされたらを読んで思うところができたのですよ。

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 昨日、お昼にチラッと読んで気になってしまったんですよね。不思議です。読んでみたら、ご本人はパパ活に「しくじり談をまず届けなきゃ」と思ったので公開しましたと書いてまして、え? 要するに、パパ活してお金は援助してもらうけどもセックスはさせてしまったら、心も体も傷ついちゃうので、みんなパパ活はリスクあるよーって、お金稼げるかもしれないけども、やられちゃう可能性もらうから少女子は真似すんなよ! 

 

 ってな感じな話でした。

 

  普通にレイプというなら犯罪やな。って思った。被害届だせばいいし、なんでださいないのだろうか。とか思った。めんどいの? 思い出したくないし早く忘れたいとかそんなんだろうか? 当時、18歳以下なら間違いなく犯罪なんだがな。まあ、よくわかりませんが。どちらにしろ、レイプなら犯罪です。それを証明できなければレイプではありません。18歳以下なら合意だろうがなんだろうが犯罪です。

 

 なんとういか、世の中はお金なんですよね。でも、お金だけでは女性は口説けないということでもあるんだなと思うばかりです。勿論、男もお金だけで動かない奴はいます。ですが、生活を人質にとられたり、今後のことが不安な時、状況によってはお金で行動を縛られることはよくあることです。

 

 一般的な労働者階層の人間は日々の生活を人質にとられお金を稼ぐためにさまざま行動を起こさないといけないです。

 

 そんな、中で、お金のある裕福な好みの男性でない人間を相手にしてあげるのだからその対価としてお金を援助してもらうという活動。いうならばパパ活。

 

 選択肢としての賛否はわかんないですけども、

 

 で、よくわかんないのが、

 パパ活というグレーゾーンというか、18歳以下なら真っ黒なんですけども、18歳以上の大人の女性がね、裕福の男から富の再分配よろしくお金を援助してもらう。あるところからお金をもらう。いいじゃないですか。でも、援助してくれる男はパパ活してる女性の身体を求めてる。

 

 この方は、令和の時代は本当の平和に向けてみんなで考えて行きたいと最後に言葉を結んでしてね。いやはや、成程! わからん! ポカーンってなった。パパ活がより安全にできれば、パパ活やってる女性はバンザイ! パパ活でお金を援助してセックスにいたりたい男は残念です。と、いう形では平和とは言わないよね。

 

 ようするに、パパ活しなくても必要なお金がお金の欲しい女性にいきわたればいいわけですよ。お金のためにパパ活してるだけなんだから、じゃあ、結論的に言えば、ベーシックインカムと富の再分配が行われたらいいわけです。

 

 それだけで、解決するわけではないだろうけどね。

 

 で、必要以上のお金が欲しいならそれそうおうの、能力だったり、努力だったり、リスクだったり何かしらとらないといけないので、考えて答えがでる問題じゃないです。単純に人よりもお金を得るためにはどうしたらいいのかと、思考して行動するだけです。

 

 そんなわけですが、生きてさえいれば色々ありますよ。パパ活してレイプされてしまうこともある。パパ活をせざる得ない環境に生まれてしまう。それは本人とってはとてもついてなかったことなのだろうな。

 

 ですが、そうは思うわない人もいるし、そう思う人もいるから困りもんですな。

 

 なんか、書いてしまうとあれですね。

 ん? なんかパパ活してたらよくあるある話じゃないですか?

 って、最後に思ってしまいました。

 

 まあ、パパ活やって幸せになれない人はやっちゃ駄目ってことっすね。

 男も女もね。

 

なんでこんな仕事があるんだろう?

togetter.com

 

 

店に入ろうとしたら青年に声をかけられる ↓

「店の中確認しますね、あーすいません満席みたいです、こっちのお店にどうぞ、サービスしときます」と誘導。 ↓

無視して店に入ると満席じゃない その青年は他の店に入ろうとした客を横取りする悪質な客引きだった。

 

 

 

 店の前で客引きしている人間が実はその店の店員ではなく、更にはその店は満員だと嘘をついて、まったく関係のない店に案内するという仕事。

 

 横取りという言葉がもっとも的を得ているでしょう。

 横取りするのが仕事。

 なんだそりゃ!

 

 店に行きたかったお客さんは行きたい店に行けなくて損だし。

 店は店で来てくれるはずだったお客さんを逃して損。

 騙した側は、来るはずのなかったお客さんがきてくれて得をして、騙して関係のない店に誘導した人間は仲介料をとって得をする。

 

 損とか得ってのはお金の動きとして、現代社会はお金がないと飢えて死ぬ。お金で飢えしのぐことが当たり前となっています。そんな世界だからお金の奪い合い、騙してもお金の動きを操作するという動きがあるのでしょう。

 

 それでも、この手の横取り行為をされたらたまらない。店側と行きたかったお客さんは利用されて、騙されて、お金もとられて最悪ですよ。酷い話です。

 

 こういうレベルよりも酷い騙しは世の中にいくらでもありますがね。

 しかし、日常レベルで人を騙す人間が世の中にいっぱいると思うと人は人をどんどん信用できなくなっていくでしょう。

 

 それは凄く悲しいことだと思うのです。

 ですが、こういう仕事でないとお金を稼げない人達もいるのも事実。

 こういう人達が人を騙すことなく、まっとうにお金を稼げるような世の中になって欲しいなーと思うのです。

 

 じゃあ、こういう人を騙す仕事をどうやったら減らせるか? という話になるんですね。減らそうと思ったら罰則を強化したらいい。店を騙って客引きして人を騙したら死刑とかにすれば、リターンよりもリスクが高まるのでやる人が少なくなるでしょう。

 

 でも、そんなん無理でしょ! って話です。人を騙して違う店に誘導したら死刑って罪が重すぎる。なので罰則強化ってのも微妙。

 

 ほいじゃ、どうするの? 基本的には店まで客引きをしている人間を信用しないで漫画にあるように、直接、店に行くのがいいんでしょうね。

 

 基本的に、店前に立っている人間は看板か何かと思って素通りするのがいいんでしょうね。悲しい話ですが。

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何をやっても退屈だなと思う時はどうすればいいのだrou

 

 アニメを見てもゲームをしても漫画を読んでも満たされない。そんな時がやってくるとは思わなかった37歳のGWである。別段、身体が不調ということもない。むしろ体調は良い。何かを始めたら徹夜しても体調は崩さぬくらいのゆとりがあるくらいに体力が余っている。しかし、楽しくないのだ。

 

 一人で部屋でパソコンとゲーム機とタブレットスマートフォンに向き合ってると、とりわけ、時間だけが経過する。ブログの面白記事や、Twitterのタイムラインを眺めるだけでもいいだろう。そうすれば瞬間的な楽しさや、面白そうなことのきっかけがあらわれたりもする。しかし、今日はそういうことが起こらないようだ。

 

 今日は退屈な一日である。そういう言葉で締めくくるべきだろうか? そうあるべきなのかもしれない。いっそのこと体力尽きるまで身体を動かして汗をかいて寝てしまえばリフレッシュできるだろう。しかし、ある予感がある。これは、退屈モードという状態に移行しそうな気配である。

 

 退屈モードとは。

誰でも体験したことがあるとは思うのですよ。何かをやりたいような、やりたくないような。でも、なんかしたほうがええちゃう? でも、なんか、なんにもやりくたないんだよな。じゃあーゲームしよう。やってみる。あれ? でもつまらんな。じゃあ、漫画読もう。あれ? 駄目だなんか集中できない。アニメ見よう。流し見で頭に入ってこない。小説読もう。トリップできない。どうしよう。何もしたくないよう。困ったようー。という状態である。

 

 

 そういう状態をなんとかしようと思うわけですよ。じゃあ。どうしよう?

 この状態で検索したりする。

 

 検索上位にあった解決策

 

 

 ・新しいことを始める

 ・サークル団体に所属する

 ・合コンや婚活パーティーに行く

 ・行きたいところに旅行に行く

 ・遊園地やテーマパークに行く

 ・お笑い番組を見る

 ・映画鑑賞をする

 ・好きなスポーツをする

 ・盛大に飲み会を開催する

 ・食べたいものを思い切り食べきる

 ・嫌なことから離れる

 ・とにかく寝る

 ・親しい人に愚痴りまくる

 ・カラオケで大声で熱唱する

 

 

 そして、最後に自分の好きなことをやってみよう!

 とか書いてるね。

 

 そういう方法で解決できることもあるだろう。日常の中の行動にアクセントつけることで解決することは多々あるので上から順番に試していけば解決するかのように思われるが、やがて、また退屈なモードに落ちてくると思われる。

 

 なんやかんやいって、なんていうのかな。退屈だったり、身体の調子は悪くないのに、どうにもやる気がでない、気分がのらない、退屈な状態ってのは病気みたいなもんなのかもしれないね。それに対する処方というか誤魔化しというか対策が、日常に対して変化的な行動をすることで緩和されるのでしょう。

 

 さて? じゃあどれやろう? 新しいこと始める? やだよ。めんどくさい。それなら昔、挫折した絵の練習やら英語やら執筆とかやりたいけど、それもやる気がでないよん。サークル団体に所属する。それもないな、今更、始めましてどうも、コンニチワとかやりたくない。合コンや婚活パーティーに行く。行きたくないというか、行ってどうするんだ? 今更、そんな場でやりとりすることを考えたら憂鬱になる。無理だな。

 

 ほいじゃ、行きたいところに旅行する。それこそ面倒です。綺麗な景色なら綺麗な動画や画像で満足できる人なので、遊園地やテーマパークに行く。ああいう場所に一人で行ったことは何度かあるが、退屈だったなー。俺にはソロプレイは向いてないようだからNGですな。お笑い番組を見る。お笑い番組って人を貶したり、馬鹿にしたりキチガイの振りをしたりするイメージがあって哀れに感じて精神的にくるので大人なってからは気色悪くて見れなくなった。滅びて欲しいジャンルです。

 

 映画鑑賞は良いような気がする。それもありだけども、なんかのらない。好きなスポーツをするのもありだけども、準備がめんどいので却下。盛大に飲み会を開催しても金と時間とどうでもいい会話で浪費で終わる気がして開けない。食べたいものを食べたいだけ食べる。翌日に身体の調子が悪くなりそうだからやだ。一時の快楽のためにドカ食いするような愚かな真似はできません。

 

 ほいじゃ、嫌なことから離れる。もう、十分離れてます。これ以上離れようと思ったら死ぬしかないです。それは嫌です。とにかく寝るというのもありだが、昼間にじっくり寝たので目はサエテマス。親しい人に愚痴りまくる。愚痴っていうほどに不満があるわけでもないのに愚痴れないよ。人は生まれながらにお金持ちに生まれないと損だねーくらいしか愚痴れないし、結論、羨ましい、妬ましいってなってお話が終わるのであまり意味がない。カラオケで大声で熱唱。これはわりとありやな。そういうストレスの解消の仕方もええな。でも、そうじゃないんだ。ストレスとか解消したいとかそういう状態じゃないんだよな。

 

 結局どうすればいいんだろうな。死んでしまうのが一番てっとりばやい解決策なわけですよ。だけども、死ぬほど退屈というわけでもないわけですよ。

 

 だから、ごちゃちゃ、考えないで身体を動かせばよいし、少しでも興味のありそうなことをかたっぱしからやって行けば、時間がたってやがて眠くなる。そして、その繰り返しで、気がつけば身体が動かない老人になって死んで行くという未来しか見えないんですよ。

 

 そんで、それが凄く悲しい。

 全力で人生を走るわけでもなく、未練もそれほどになくやがて死んでいくんだろうな考えてしまう。

 

 どうすればいいのだrouな。

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現代社会が怖いです。昔の常識、今の非常識なのは分かってはいるんだけども割り切れない怖さ。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

 

 

 なんだ、なんだ! 体罰にびびって不登校ってか。なんだろう。良くある現実だと思ってしまう自分がいたりする。昭和生まれの公立の学校に通っていたような者達は教師が殴る、保護者が殴る、大人が子供を殴るのは珍しいもんだとは思わないだろう。それが、例え、間違っていたとしてもな。

 

 暴力に対する恐怖というのは半端じゃない。暴力に対して反撃できる能力のないもの、その立場にいないもの、はその暴力にひたすら怯えるしかない。暴力というのは一種の脅迫的な行為ですよ。つきつめれば、殺されたくないなら言うとおりにしなさい、この糞が!」 そういう、脅し的な行為に近いわけですが、それが効果的なんだからよく使用される。

 

 ただ、やっぱり殴ったら、というか平手というか一方的な暴力は駄目だなと感じるな。だが、引っ叩かないと伝わらないという感覚もどこか理解できてしまいます。殴ったり、引っ叩いたりすることで、それがどれだけ重要なことであるのか、というのを相手にわかりやすく伝えることができる! と、暴力を振るう側は思い込んでたりする。

 

 しかし、暴力を振るわれた側は基本的にびびってまうのです。人間は痛み敏感です。怖いんですね。恐怖なんですよ殴られことに恐怖を感じるですよ。相手がどう思ったとかどうでもいいんです。怖い。殴られるのが怖い。だけども、命をとられるような打撃を受けたわけでもないのに、怖い、怖い、恐怖です。と怯えるのも精神的に脆弱ともいえるわけです。暴力は嫌だな。

 

 しかし、暴力によって人は今も支配されている。国家は税金をとるために、法律を守らせるために暴力を使って人間を統制してます。というよりも、暴力によって国家が成り立っているのです。警察、自衛隊、その他、暴力組織がルールを遵守させるように暴力を利用します。だから暴力にビビッてたら、ビビッてたらで食い物にされることは必定です。だから、暴力に対する耐性というのは獲得した方が良いです。

 

 この世の中はとても理不尽です。暴力に無縁な人もいるでしょうけども、人は人を殴ることできるし、殺すことできる。物理的にね。なんなら食うことだってできる。実際にそういう時代あったわけですしね。人間を肉にしてく食うよりも、奴隷として働かせたほうが、権力者はもっと豊かに暮らせると理解してから人間を食うという文化は廃れてしまったわけだが。まあ、そういう話は良いとしてだ。

 

 暴力に対する耐性がないのも困りもんだ。でも、大人の理不尽な暴力も困りもんだ。 だけども、スポーツの試合でミスしたからといって、平手打ちして気合を入れるというのはなかなか、いかがなもんかなと思う次第です。

 

 あら???

 書いているうちに、気がついたらやっぱり暴力反対!

 と、なってしまった。

 うーん。

 やっぱり、いかんと思うね。

 ミスったら平手打ちとか!

 やっぱりあかんな。

 うん。

 なので保護者の方は反省すべきやなと改めて思うのでした。

 

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無条件で自分を好きになる女の子が部屋のなかから沸いてでてくるのを期待していると思っているねんて女性の幻想です。

 

 

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  全人類は幻想と現実の間、つまりイメージやビジョン、幻想を脳内で展開していると思うのですよ。

anond.hatelabo.jp

 

 何々、しかしじか、~だから彼女ができないとかね。本当、それこそ幻想なんですよ。だいたいにして、「無条件で自分を好きになる女の子が部屋のなかから沸いてでてくるのを期待している」こんな人はいませんよ。こんなことを思ったり、考えたり、想像したりするのが、男性に縁のない女性特有の男子の見方なのかなと。 そんなことすら想像させる文章です。

 

 君に彼女が出来ない? 大きなお世話だ。しかし、有難くもある。だが、勘違いだ。彼女ができない理由は千差万別だ。しかし、決定的な理由は運がないからだろう。世の中は運です。努力も行動も運です。そんなこと言ってしまえばやる気もなくすでしょうが、運です。やる気がでるのも、頑張れるのも運です。世の中、運よくやる気なってそれが継続できるから大事がなせるのです。他の要因は副次的な要素に過ぎません。

 

 そして、運ってのは傍目にも本人にもわかんないもんです。だから多くの人が運が良かったからだと認めれないし、理解できない人がいるは不幸なことですが、仕方ないです。成功した人は運ではなく、努力したからだと思いたいんです。失敗した人もまた然り。勿論、そうじゃない人もいるでしょうけどね。

 

 君に彼女ができない理由 = 運がないから?

 

 君に彼女ができない理由 = 無条件で自分を好きになる女の子が部屋のなかから沸いてでてくるのを期待していると思っているから?

 

 君に彼女ができない理由 = 彼女をつくる努力や行動をしてないから?

 

 僕のなかでは運がないから、何事も身を結ばないと思うのですよ。そんなん運次第って虚しくない? 虚しいというかそういうもんだと思うんですよね。今の時代に対して適性のある能力、もしくは権威的な立場に生まれたり、富に恵まれたりすること事体が運です。うまれつき、障害がない身体に生まれるのも運でしょう。

 

 うわー。なんか宗教チックになってしまったなー。しょうがないよね。どうせ僕は骨なって死ぬんだからこんなことしか思えないよ。

 

 とりあえず、現代社会は運による。運が良ければ彼女もできるし、彼氏もできる。なので運の再分配、いわゆる富の再分配。ベーシックインカムが日本で開始されればきっと彼女も彼氏もできると思うよ。

 

 幻想ではなく、富の再分配を早くしてくれー

 と、ベーシックインカムはよしてよ!

 思う日々です。

 

 

 

 

4月からニートな私です さっさとくたばれ私。

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 4月からニートな私です。去年1年間、職業訓練に通ってましてね。無事に電気工事士という資格をとったんですがね。就職活動せずですよ。1年間、国からお金をもらって勉強して資格をとって就職しないという選択をしたわけですな。非国民という奴になるのかな。仕事するより、職業訓練に通う方が楽かなーと思うのですが。職業訓練校でもそれなりに人間的摩擦やヒエラルキーは存在するので、何かとストレスフリーというわけではない一年間でしたよ。

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 去年のこの勢いはどこにいったんでしょうね。仕事辞めて、職業訓練にいってより良い未来を築きあげることができるんじゃないのかなーとか期待していた自分は何処にいったんだろうな。1年間かけて仕事する意欲が全力でなくなってきたがします。もうすぐ37歳になろうというのにこの低空飛行っぷりに自分でもビックリして少し、自己嫌悪しそうになる時がありますな。

 

 基本的にお金もないのにニートしている私ではありますがね。ある程度の引きこもれるお金は貯蓄してますがね。日々の生活費が10万を切る人間だからできる芸当ということでもあります。そんな僕の経済的事情はどうでもいいんですよね。どうせ骨になって最後には死ぬんだから本当にどうでもいいんです。

 

 なんで、僕は4月からニートというか引きこもりしてるんだろうなとう点ですよ。普通に働いてお金を稼いで、豊かな暮らしを実現すればいいじゃないって思うこともあるんですよね。バイトでも派遣でも仕事を選ばなければ月に10万以上稼ぐことは、難しいことじゃない。自分の時間を命の時間を労働力として売り渡してお金に換金する。37歳の糞なおっさんの労働力の価値は平均よりも買い叩かれるだろうけども、それでも売ることができるのである。だから嫌なんだよね。

 

 なんというか、働くという労働というは自分の身を切る行いに近い。自分の時間を切り売りするというのが本当に嫌だ。嫌だというか安く買い叩かれるのが嫌だ。この世の中には安く買い叩かれる人間と高く買ってもらえる人間と、人間の労働力を買って搾取する立場の人がいるわけで、労働者から搾取する資本家が本当に憎いと思ってしまうのですよ。なんていうかね。私が働けば働いた分だけ資本家が搾取していくというこの経済システムが非常に僕に辛い。

 

 うまれついての資本家が労働者を搾取する構造、労働者が頑張って経営者になって資本家になる構造。この世の中には搾取する側と搾取される側に分かれるという。そう思うとね。

 

 働いて、お金を稼ぎたい人だけ稼げばいいじゃないですか! とか思うわけですよ。だけども、お金は再分配しようぜ。富は分け合おうぜ! 何故ならば、働いた労働の価値とお金の価値はイコールではないからだ。人の役に立っても1円の価値にもならないことはいくらでもあるし、人の役に立たないどころか足を引っ張る行為でもお金になることはあるわけです。

 

 労働に対してお金の価値が適正価格なんてのは自由経済な時点であり得ないので、富の再分配しないと、お金はお金の価値を決めている、寡占している場所に集まります。結果、お金が回ってこない人達、貧困者を生みます。賃金奴隷が多ければ多い程、富を独占している人達の生活は潤います。ですが、同時に富を独占する側は常に他人から奪われないかと心配したり、恐怖が生じたりします。その感覚が麻痺する人いますが。人は得るよりも失うことに非常にストレスを感じます。奪われるくらになら殺すか死ぬかという選択を安易に選ぶに程にです。

 

 なんにせよ。嫌だな。働いて資本家に搾取されたくないなら、企業して搾取する側に回れば良いとか、言う奴もいるよ。言うは易しだよ。だから私は死ぬんだよ。くだらない。本当にくだらない人生だ。何者にもなれず。搾取されて、搾取されていると気づきながら何も状況を打開する手を打てない。思いつくのは富を寡占している金持ちが一人でも多く死んでくれと願うことしかない。

 

 日本には1億円の金融資産を持っている人間が500万人はいるらしい。その500万人のお金をとりあげて、5000千万に1000千万ずつ渡せば良いとか思ってしまいますな。そんなことしてどうなる? と、言われてもどうもせんがな。なんとなく、金持ちは私よりも幸せそうだから金持ちの金を取り上げていいじゃねーのっていう糞な思考ですよ。ああ、くだらない。本当にくだらない。やっぱり私はさっさと死ぬべきだろうな。1年間、国の世話になって職業訓練に通う価値もない人間だったんだよ。

 

 あああ、くだらない。さっさとくたばれ ねここね。

 本当にそう思う今日この頃です。

 

 あああ、来世では富の再分配がしっかりとしていて、搾取されない人生になるか、お金持ちで権力者に生まれて労働者から搾取しまくってウェイウェイ、ブイブイしたい。

 

 

 あああ、くだらない。

 本当な。