個人的な幸せについて常に考えていた私です。
それついて話しよう!
結論から言えば幸せになるには、好きという感情が大事である。
というより、
自分の好きな人、物、思想をまず知ること。
自分の好きという感情を大切にすること。
自分の好きという感情に従うこと。
自分の好きという感情が正しい思うこと。
自分の好きという感情に拘ること。
自分の好きという感情に執着すること。
自分の好きという感情を深く追求すること。
自分の好きという感情を信じること。
それができれば、人は幸せでいることができるのですよ!
それには、戦えないと話しにならないのである。
好きという感情は命を燃やす大儀になりうるのである。
好きという感情を邪魔するものには敵であるということを認識しないといけない。
好きという感情を邪魔するものはなんであろうが排除しなければならない。
幸せでいるためには
好きを邪魔するあらゆるものと戦う覚悟必要だ!
負ければ、自分の好きという感情がボヤケル!
負ければ、自分の好きという感情が虚ろになる!
負ければ、自分の好きという感情が支配される!
そこに幸せ等存在しない。幸せのない世界等、100億の命を引き換えにしてもいらない世界なのである。
これが事実であり、現実である。
しかし、人間は70億人にいる。植物も動物も沢山いる。それぞれに好きは違う、似ていたり、違っていたりで様々だ。
好きという感情を個別に主張しあうとそこに争いが生まれてしまうのが現実だ。
争いで負けた人間は好きを強制的に諦めることになる。
だから、戦える力が必要なんですよ。
力及ばず負けた人間は感情を外圧によって抑制される。つまりは、好きという感情を抑制されることになる。
そうならないためには、努力でも運でもなんでもいいから、自分の中に絶対的な力がいるのである。
その力を得るために、人は行動するべきなのである。
それを阻害する要因はノイズであり障害でしかない。
共存、共栄?
笑わしてくれる思想である。
そんなものは妥協の産物でしかないし甘いのです。
否、甘くもない、苦く、苦しく、不幸である。
共存した分、妥協した分だけ人は不幸になる。
だから、好きという感情に共存、共栄という妥協はいらないし必要ない!
しかしだ!
自分の器量に合わないレベルの好きという感情は不幸を招く、何故なら奪われるからである。
自分より、強制的な何かに奪われることになる。
人間には物理的な限界がある。
だから、自分の好きを人は妥協するし、抑制してしまうのである。
人は死んでしまう。死んだ先のことは死んだ人にしか分からない。
死んで、不幸になるのか、幸せになるのかは分からない。
だから、人は生きている間は自分の幸福の追求をしていく方が良いのです。
幸せでありたいなら、好きという感情を一番大切にするべきなんです。
だからこそ、自分の中にある好きと向き合い続けることが重要なんです!
そのためには、力が必要なんですよ!
その力とは何か?
人を幸せにする力とは何か?
それは好きという感情の強さである。
好きという感情を強く持ち続ける人だけが幸せでいれるだと私は思うのです。
人は好きという感情を強く強く、鍛えていけば行くほどに幸福に繋がる生き物なんですよ。
それだけなんですよ!
好きなだけで人は救われる。
好きという感情があれば幸せでいることができるのです。
だから、思う。
好きという感情を育てる努力をすることが大事なんです。
好きという感情を育てながらそれを守る努力が必要なんです。
好きという感情を育てながら守るために戦う必要があるんです。
好きな感情で満たされている時間だけが幸福と呼べる唯一無二の状態であるのだから・・・・・・。
貴方はどう思いますか?