ども、自称アニヲタのねここねです。
僕の友人にアニメ好きはいるけど、アニヲタは多分いない。
これは悲しい話なのだけど現実だ。
仕事上、お堅い仕事や、アニヲタだとあまり世間体がよろしくない奴等だから、そこまでアニメヲタになりきれないのかも知れないと思ったけど、どうも違うようだ。
僕の友人はアニヲタではない! だがアニメ好きなのだと思う。。。
だかアニヲタとアニメ好きの細かい定義付けは僕には出来そうにない。
けれど、アニヲタとアニメ好きは決定的な能力に差があるコトに気づいた!
それは何か?
記憶力だ!
正確に言えば、アニメに対する記憶力だ。
僕の友人連中は面白いと思ったアニメですら、何が面白いのか、印象に残った部分すらも説明が出来ない人が多い。
いや違うな、説明以前に、思い出すコトさえ困難な人ばかりのようだ。
はっきり言って、完全に忘れてるコトが多い。
酷い時には最終話のオチすら覚えてない。
友人のアニメを視聴した後の感想は大体こんな感じだ!
「なんとなく次が気になるから見て、そんで面白いと思ったけど特にどこが? って言われても、分からん・・・・・・」
ふむ!
でも、毎クール始まるアニメを結構見てたり、過去作もそれなりに見てる。
しかし、僕が「○○○○の第??話は最高だねー」とか振っても、「え? そんな話あった?」とかなるコトが多い!
そして、印象に残る場所を聞いても「うーん・・・・・・」とかなる人が多い。
面白いと思ったことなのに、あまりにアニメ記憶の定着率が悪いのだ。
となると、導きだされる答えに、実は友人はアニメが好きではないんじゃないのか?
そんな疑問が生まれる。
しかし、僕が友人と話す内容は高確率でアニメ関係の話だ。というか僕がそういう話が好きだから合わせてくれてるのかもしれない。
だが、アニメに対しての記憶が著しく欠損しているコトは間違いない。
何故だろう?
うーん。
前々からリアル友達と話していて感じた違和感はこれだったんだ。
僕のリアル友達はアニメは好きだけど、アニヲタではないような気がする!
こういう疑念が何年も前から発生していた。
というワケで、僕の中でのアニヲタとアニメ好きの定義はアニメに対する記憶力が高いか低いか?
その辺だと思ったりする。
アニメ好きじゃない人 = アニメを見ない・・・・・・。
アニメ好き = アニメは見るがあまり覚えてない。
アニヲタ = アニメを見る。そしてアニメに対して記憶がはっきりしてるコトが多い。
曖昧過ぎる定義だが、根本にあるのは脳内で締められる記憶情報がアニメ関係のモノが多ければ、多いほど アニヲタに近づくと思うんだ。
そして、アニメ好きはそのアニメの記憶情報過多にならないタイプだと僕は思うし、ひっかかる点や疑問は飛ばして雰囲気だけでアニメの状況を理解する。
アニヲタは基本的にかなり細かいところを覚えていたりする。そして、矛盾があったり、その後に説得力のない描写が続くと、悪いご都合主義と判断してその作品の評価を著しく下げるコトもシバシバだ。
ある意味、好きの度合いと、これまで脳内で蓄積した二次元情報の差がこの結果を生むんだろう。
なんていうのかな。
人間は何か記憶する時に関連づけて覚えると記憶の定着率は高まるというのはみんなも知ってると思う。
そんで、僕の中でアニヲタっていう連中はアニメに関してこの関連付けを無意識に凄くやってる連中だと思う。
だから既視感のあるアニメ作品が現れると、過去に似た作品を瞬間的に思い出して記憶の裏打ちが行われて、更にアニメに関しての経験が濃いモノになる。それが弊害になってアニメ単体としての正当な評価を出来ないコトもあるが、過去作に似ているという時点で先行者が有利になる世界というのはしょうがない。 世界はそう出来ている。
土地だって元々は誰のものでもないワケだけど、誰かが先に拾得して俺のモンだ! それで始まったんだから過去の名作と新作が似ていることで新作が多少の不遇は受けるのは当然だ。
まあ、話がズレたけども
アニヲタはアニメの記憶の蓄積量が半端ではない人が多い。こうなってくると、ちょっとやそっとの名作では魂が揺さぶられない。
舌であらゆる料理を記憶する超一流のシェフみたいな連中がアニヲタなんだろうな。
だが、料理をするコトはあまりない。食べる専門。海原雄山タイプがアニヲタの理想像なのかもしれないな。
んで、一方、アニメ好きは基本的にあまり話の内容とか覚えてないので、かなり新鮮にアニメを楽しむコトが出来る。
そんで思うのは根本的に記憶力が高い人はアニヲタになりやすい傾向があるんじゃないかなーって思ったりする。
ある意味、アニヲタは能力の無駄遣いをした人達かもしれないな。
細かい知識の差や趣味趣向はどうあれ? アニメに対する記憶の定着率の差がアニメ好きとアニヲタの差を決定づける大きな因子になるような気がするのです。
貴方はどう思いますか?
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記事にひっかかるであろう内容を追記!!)
記憶力は違うんじゃないかな?
人間は潜在的に向き不向きがあります。
例えば、バスケットボールに有利となる身体的な素養は背の高いことに傾向性が多く見られる。勿論、背が高いという要素だけがバスケットボール選手として優れているに繋がらないこともある。だけど、その傾向はある。何故ならプロで活躍する選手の大半が長身のバスケットボール選手である事実があるから。
そんで、アニメを見る行為というか、記憶力なんてのはそれを限定に使うモノじゃないけど、見たものを正確に記憶する能力が高ければ高いほど、情報を蓄積出来るので色々な角度からアニメを理解したり、考察できる可能性が高くなる。理解するにも、考察するにも材料が豊富にないと、全体を捉えた思考は難しいんじゃないかなとか思ったり、ただ、材料が豊富過ぎて、理解する能力が分散したり、本質を見逃すような結果にも繋がる気はするけど、僕は覚えれる素養が高い人のほうが、集めた情報を処理する能力に時間が立つごとに優れる結果になると考えています。
なんていうのかな。 パズルのピースが多くなればなるほど複雑で困難だけど完成する絵はより大きくなったり、達成感を得れるから、よりアニメが好きになるというか、そういう感じかな。だから、記憶力が優れた人はヲタになりやすいかなーって思うという話です。
ただ、ヲタクという具体的な例というか、バスケットボールならプロが具体例になるけど、ヲタってのは具体例があまりに抽象的で定義が難しいから、どうにも推測で語ることになってしまう。だから身近な限られた例で検証するという手段になってしまうかなーとか。そのせいで、色々と説得力がなくなるかなーとか思います。 その辺にひっかかる人は多いとは思われます。
>>好きこそ物の上手なれというけども本当に好きでそれに時間、金かけて出来るかどうかなんじゃないかなぁ、なんていうかリターンを求めないって言うか向こう見ずにアニメにどれだけ心血注げるかこれが前提のような気がしてきた。 ~ 別に生まれつき記憶力よくなくても好きなものって結構覚えにくいものでもどうでもいいのでも覚えてるからそこに潜在的なものはまったく関係ないと思う。
>>
こういうのは、なんていうか潜在的なモノではなく、後天的に発生する趣向とうか、好きの要素が細分化した変化だと思うので、僕がいいたかったのは、好きとか嫌いとか その前の段階で アニメを見て楽しむのに向いてる人、向いてない人ってのが、素養としてあるということなんです。 その素養が潜在的な記憶力の量なのではないかと思うというところです。
>>じゃあこのアニメ好きとアニオタの違いってなんだ ~ タクって自称してるのかな?<<
僕は、違いに対して細かい分け方はできないのでなんとも言えないんですが、面白いと思ったら、相手に何故それが面白いのかを問いたくなるし、自分でもその答えを持ちたくなる。 相手がつまらないと思ったら、それも理由が知りたいし、自分もつまらない理由を明確にしたいと思ったりする。 その度合いというか熱量で相手を区別してるところは確かにあるなーとは思います。
ただ、一緒にされたいとか されたくないとかは、うーん。まあ、結局は同じ穴のムジナなのでやったところで、滑稽と呼んで差し支えないプライドを守るだけのような気がするなーとは思います。 なのであまりそういうことは思わないかなー。 でも、心の中で、自分が好きなアニメが友達とか、世間的な評価が低いと、その評価を覆してもらえるように頑張りたくなる自分もいたりするから、なんだろう。 他の人に自分が楽しいと思うものを「そうだね」と肯定してもらいたい願望が強いタイプなのが僕のようです。 そんで、そういう人はヲタだなーって思うかな僕的に。
>>「オタク」を自称することに誇りみたいなものを持ってるものが多いんじゃないかと思う<<
誇りですか。 相手より何かに詳しいということは優れているということに繋がると思うので僕は称賛に値いする言葉であると思うし、自分の好きなことに詳しい自分を周りが認めてくれるという世界は僕にとっては嬉しいことだなーとは思います。 自称というより、自他ともに あいつはヲタだなーって言われたい自分がいてもおかしくないと考えています。
だから、ヲタであるということに誇りを持ちたくなるのは自然なことなのではないでしょうか?
貴方はどう思いますか?
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