ねここねの思考手記

主にアニメ系 漫画系 らのべ系のサブカル系が中心です

怒りという名前の精神の話。

 

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 労働者という身分でいると常々思う。支配階級死ね。金持ち死ね。資本家死ね。労働者から搾取ばっかりしやがって本当に許せないという怒りの感情である。

 目には目を歯には歯を搾取には搾取で返せというハンムラビ法典通り労働者を搾取する金持ち連中を搾取し返して労働者として支配してやりたい! そうすれば少しは自分の溜飲が下がるのではないだろうか? そんなことを悶々として思う日々である。

 

 労働者は常に怒りを抱いているのではないか? そんなことを感じる昨今です。

 

 労働者でも辛い立場にいない人間や、ストレス度の低い職業、自分が好む職業について満足な報酬を得られている人間にそういった怒りはあまりないかもしれない。

 

 しかし、そうでない労働者。お金のために、生活費を捻出するために仕方なく身体を酷使したり、自分の生命活動の時間を消費してわずかな金銭を稼ぐ労働者は常に怒りや不満を内包しているのではないかと思うのです。隙あらば金持ちをやっつけたい。そんな思い抱く底辺労働者は多い。

 

 何故そう思うか? それは労働者が常に金持ちから搾取されているからである。

 

 労働者の労働の稼ぎから上前をはねて金持ちがより金持ちになるということが世界的にも周知の事実だからである。あらゆる企業が資本家が労働者から富を吸い上げる。無論、労働者からの不満はでる。しかし、不満だからいって金持ちをぶっ殺すなんてこともできない。

 

 それは何故か? そんなことしたら警察や治安維持機構か黙ってない。法律の名の下に労働者は資本家をぶっ殺せない。もしも、ぶっ殺そうものならその労働者は犯罪者として逮捕拘束されしょっぴかれることだろう。法律も警察もいない状態なら支配者階級なんて常にぶっ殺される対象だからである。それは歴史が証明しているところだろう。

 

 しかし、権力者や金持ち共はそういった労働者の反乱を防ぐ方法を常にアップデートしてきた。そして、今の現代まで辿りつく。現代は労働者が上に暴力をちらつかせて反逆できるようにはできてない。気に入らない金持ちの一人や二人は自爆でいいいならやれないこともないが、そいつをぶっ殺しても自分自身は幸せにはなれない。その程度に労働者は賢くなってしまっている。

 

 そうだ! 現代の労働者は愚かであり賢くもある。わずかな幸せや自身の生存存続のために苦役を味わいながらでもむやみやたら金持ちどもぶっ殺したりしない。たとえ、自分の人生の半分以上の時間を労働に捧げて金持ちの金を増やす道具として扱われて怒りすら覚えてもその怒りは支配者共にたいして発散されない。

 

 労働者の怒りの狂気は金持ちどもに届かない。その程度の洗脳に近い教育は労働者にほどこされているのが現代人である。

 

 はあ。。。 許せぬ。 金持ちが許せねぇ。ぶっ殺したい! と思ってもそんなことをしても自分が幸せなれるビジョンが見えないのである。そんなことしてる暇があったらすこしでも、自分の人生をよりよいものにする努力をするべきである。そういう思考に切り替えて現実と折り合いをつけて日々の生活を過ごすのみである。

 

 それは、つらいはな。まさに無限地獄のような人生である。とくに生活費のために労働を強いられる労働者はそうである。そして、現状を打開して労働者という階級から脱却して金持ちの仲間入りしたいのである。 しかし、思えばそう簡単に叶うものでもない。思い焦がれるが現実にそうなる努力をする厄介である。行動することは難しい。

 

 何故なのか? 自分がなりたいものになるために努力や行動を起こすことが何故難しいのか? それは何故だろうな。人間 着るものがあり、住むとこがあり、食べ物が食べれるならそこまで無理に頑張ろうという努力をしない人間のほうが多いのかもしれないな。それすら満足にそろわない人間は生きることに必死でそれどころではないし。

 もっと良いものを得ようという努力や、労働せずに衣食住を永続的に手にしたいと思わないでもないが、それを得るための努力よりも日々のささやかな時間でも怠惰な生活のほうが甘美な魅力があるのかもしれない。

 

 しかし、お金のために強制的に労働を強いられる状態は辛い。労働している時は常に金持ち死ねと心の底から思って労働している労働者は多い。常に拳銃のトリガーに指はかかったままで仕事している人もいるだろう。重機を運転しながら偉い人が視察にきたときに、これをつっこませてぶっ殺したいと思う人もいるかもしれない。しかし、そんなことはなかなか起こらない。そんなことしても現実的に誰も幸せにならないから。

 

 金持ちを一人ぶっ殺すたびに、労働者が生活費を稼ぐために労働をすることなく優雅に暮らせる世界が近づくなら労働者は金持ちをぶっ殺しまくるのかもしれない。しかし、世界はそうできていない。金持ちをぶっ殺すたびに労働者はより金持ち連中からより金持ちを殺したら不幸になるぞというシステムが構築されるだろう。まあ、戦争でもおこして金持ち側をいっきにぶっ殺してその立場をのっとれたらのっとりに成功した奴等は支配者側になれるんだろうが。現代社会ではそういう暴力によるのっとりもあまり賛否されないね。もうそういう時代じゃない。

 

 なら、日々の生活に労働する怒りあふれる労働者はどうすればいいか?

 

 諦めて、寿命が尽きるまで搾取されてよぼよぼになって死ぬのが一般的である。支配者側もそれを一番に望むであろう。

 

 一念発起して支配者側になれる努力をする。叶うかどうかはわからんが努力するというのもいいだろう。夢破れて途中で寿命がきても最後まで頑張れたならそれはそれでいいのかもしれない。

 

 やけくそなって金持ちに自爆テロをしかけるというのもあるが、自分が死んだらやはり意味がないので、誰にもばれずに貧困層を金持ちにぶつけて気に入らない金持ちをやっつけるという手もあるが。それはそれでリスキーだ。殺人の示唆は大罪であるし、金持ちが死んでもその金は殺した人間に入ることもあまりない。

 

 じゃあ、他にどうすればいい?

 とくに思いつかないのが私である。

 そして、その他の答えを常に考えているそれが私である。