みんなしんどいんだ!、だからお前も耐えろ! とか みんな頑張ってるんだから、お前も頑張るべき! みんな我慢してるから、お前も我慢しろ!
今更だけど、この論理で指導したりする人間には脳味噌が入ってるのかと疑いたくなる。まあ、考えの足りない人間や子供に手っ取り早く言うことをきかせるには有効だろうと思うけどいい大人が大人にこれを言うのは、舐めてるのか? それとも言う人間が頭が悪いのかどっちかだと思うのは私だけだろうか?
みんな=大多数の人間が耐えたり、頑張ったり、我慢してるのは基本的にはそのシステムに不備や改善するべき点が多いから生まれるとは考えたりしないのだろうか?
仕方ない、それ以外方法がないとか、昔からやってるからとか、とにかく理由をつけて一部の人間だけが有利なルールで社会が回っていることに憤りを感じたりしないのだろうか?
憤りを感じるけど、今の生活を人質にとられているから仕方ない、憤り、逆らって酷い目に合うくらいなら、今のままのほうがどれだけマシだろう。そういう考えに支配されている人も少なくはないだろう。
だから、スポーツや趣味に走り己を誤魔化して生きるしかないのだろうと思う。
大多数の人が頑張って一部の人間の特権を許すのか?、一部の人間を犠牲にして大多数の人達が楽をするのか? そのバランス調整が大事なのか? それとも全てを個人で行えるテクノロジーを目指すべきなのか?
そう考えると生きるということはそれだけで、誰かの犠牲になるのか? 誰かを犠牲にするのか? その繰り返しのような気がしてならない。 そんなレベルで生きていると思うとなんだか情けなく思う。
私は憤りを感じたりしてアニメや漫画に逃げている現状を辛く思う、年に数回起こる発作的悩みなのだけれど答えが出ない。
自分が一部の特権を握る立場になれば、見方が変わったり、発作は起きなくなるのだろうか? 大多数の人間を踏みつける立場になることでしかこの発作は収まらないのだろうか?
そう考えると私の考えていることは資本家への僻みや妬みでしかない。子供駄々と一緒である。それを確かめるために資本家を目指すのも悪くない。
なったことのない立場になることが、その世界を知る上での一番の方法なのかもしれないと思う。
でもそれってかなり難しいよなー とかなんとか考えているとグッスリ眠れることに最近気づいた。