新世紀エヴァンゲリオンというアニメがきっかけで、冥府魔道と言われるアニメ道を志した人はいったい幾人いるのだろうか?
遠い過去にエヴァに関わったばっかりに私もそうだったりするのです。
アニヲタ道を生涯現役で貫けるかどうかは分かりませんが、アニメ道とは抜けるのは難しく中毒性のある道なのです。
なので、そのアニヲタ道の原点であるエヴァンゲリオンの話をします。
以下、エヴァンゲリオンの話。
世界の歴史が証明しているというか、なんというか、人類が知覚することが出来るモノってのは有限で無限ではないですよね。
ということは、必然、競い合い、奪い合いは避けられないワケなんです、まあ、分かち合うという感じで折り合いを付けるのが人間の良いところでもあるんだけど、それは分かち合うだけの量があって始めて出来ることなんで、結局は無限であるか、有限だけど無限と同じ役目を果たすことができない状態だと、競い、奪い合うことは避けることは出来ないワケです。
じゃあ、奪い合い合わないように神様みたいな存在を創って、それを調整する役目を受け持ってもらってはどうか?
それでも、人の業が神なんて存在を認めるワケないし、そんな存在は邪魔だ、駆逐してやる。そして、その変わりを俺が、あたしが、我がと競ってしまって、人類が滅ぶか、神を倒して、また奪い合いの再開をするかの二択を迫られると思うんです。
エヴァンゲリオンでは、使徒と人間という決して相容れない相手と戦ってどちらが生存に足る存在であるか的なところがあって、倒した後、今度は人と人がまた争うことになるから、それは避けたいってことで人類補完計画というのが打ち出されたんです。
ということで、人の自我を持ったまま、精神体という感じの存在に強制的に人類を進化させようよ、そうしたら、競ったり、奪ったり、妬むことなく、安心安全な平和な世界になれるでしょ。
ってな感じで万事OKってことなんだけど。
いやいや、そんな事言われても、俺は現実の世界が気に入ってるワケで、嫌だよ。やりたい人だけ勝手にやれよ! とか、俺がそれを管理する役目をするならいいよー みたいな人達もいっぱいるんですよ。
まあ、ゼーレとかその辺の人がそう思ってるのかな。 でも、碇司令あたりは、いや、それを管理する存在はゼーレじゃねー。
我が息子じゃー。
ってなって、まあ最終戦争的なことになりました。
まあ、どうあれ人類補完計画的な場処を人が求める気持ちってのは凄く分かるし、いいなーとは思うんです。
じゃあ、そこの君! 人類補完計画に参加出来るけどうするの?
やる?
やらない?
こう言われると滅茶滅茶悩みます。
正直、やってみたいけど、戻れないなら、やりたくないってのが本音なんですよね。現実世界の醜い奪い合いは嫌だけど、奪い合いの無い清浄で綺麗な世界も何だか怖い。でも憧れちゃう。
だか、覗き見だけはしてみたい、体験して、帰ってこれる保証があるならとか、延々繰り返して悩んだ挙句、きっとビビって手を出さないかもしれません。
でも、憧れだけは一生消えないんだろうなーとか思ったりします。
アニメとか映画とか漫画とか、とりあえずフィクションのモノに対して、入れ込むのは現実逃避だーって言われるのは、分かるけど。
憧れた理想は、やっぱり追い求めたくなる、それが現実にない存在だとしても、それを擬似的に見てきたような気持ちにさせてくれるフィクションの世界。
私的に言えば、ちゃんと行って帰って来れる、二次元メディアはなんと素晴らしいのだろう。(まあ、帰りたくない人もいるかもですが)
だから、フィクションに入れ込むってのは、擬似的に人類補完計画に参加してるようなモノだと思ったりする。
そう考えると、やっぱり味わってみたい、人類補完計画。
だれか、計画してくれないかなー。
そんで、これを追加して欲しい。
人類補完計画に参加するなら好きにどうぞ、やれば必ず世界が変わる、変わった世界がやってみて嫌だったら戻れる、やらないなら何も変わらない。けど、何時でもやれる。そして再挑戦可能。
これが全ての人に約束されている世界ってのはきっと幸せな世界だなーとか思ったりします。
何でも好きに選べる立場にいるってのは、とても幸せだと思うんですよね。
でもこれって、私にとってアニメを見る、見ないと、あんまり変わらんような気がしたりしないでもない。
あれ?
私って、今、幸せってことでいいのかな?