僕が自宅を出て再び家に帰ってくるのは最低でも13時間後である。
週に5日、土曜日の出勤もあるのでたまに週6日間僕は13時間もやりたくないことに時間を奪われる。
いや、朝の身支度や日々の健康管理のためのトレーニング、身嗜みを整える時間を含めれば1日の15時間は日々やりたくないことをやっている。
会社に行って仕事に従事するのは日々の生活をするために必要な金銭を入手するために労働力を会社に提供しているだけである。 労働力を提供せずに会社が今の収入を保証するから会社にこないでくれと言われたら明日から100パーセント出社はしない。
健康管理を怠って体調を壊してしんどい思いをしないのであれば健康管理もやらないだろう。
身嗜みを整えないで周囲の人間からの評価が変わらないのなら自分の外見がどのように崩れても身嗜みを整えることもしないだろう。
もしも、僕にお金と健康と何をしてどんな格好しても変わらない周囲の信頼性があるのなら、きっと希代の怠け者になり、7つの大罪が1つ、怠惰の罪の地位を授かれる器であろうことは間違いない。
そんな僕だけども、
僕だけども、周囲から賛成されようが、反対されようがやっていることがある。
娯楽分野である。
この娯楽分野の中で直接的な食事と睡眠とセックスは除外して考えたい。 何故なら、食べる楽しみ、心地よく眠れる楽しみ、セックスによる快楽はおよそ健康と呼ばれる状態なら誰でも享受できるし、これが1つでも満足に達成できない人は不幸だと思ったりするだろうし、不幸であると周囲から指摘を受けることが妥当だと判断する人が多いだろうから。
勿論、食欲、性欲、睡眠欲が満たされなくても、食欲さえ満たされれば幸せ、性欲さえ満たされれば幸せ、睡眠欲が満たされれば幸せという人もいるかもしれないけども、偏りはあっても、基本的には食欲、性欲、睡眠欲はどれもある程度は満たされないと幸せにはなれないと僕は思うし、その他の人もそう思う人が多いであろう。
だから、このさい自分が費やしている娯楽分野の中で食欲、性欲、睡眠欲を省いて考えて行きたい。
それでは僕が時間を費やしてる娯楽分野はなんだろう?
アニメ
漫画
小説
ブログ
ニコニコ動画
youtube
映画
他人と会話
動画作成
ゲーム
だいたい、こんなもんだろう。
順番は優先順位と費やしている時間の多さ順ってところです。
しかし、上記にあげられる娯楽分野の消費だけに関して言えば僕は睡眠も食事も性欲も犠牲には出来る。だが、しかし過剰に消費できないのは日々仕事があり、睡眠不足で会社にいったら辛いからであり、体調不良で会社にいったらしんどいからである。
だから、娯楽を消費できないのである。
そして、消費できない娯楽の存在を強く感じる時に僕はいつも虚しくなる。
急に、小説を書きたいと思った時に明日は会社で仕事だから寝不足になってはいけないとアイディアを眠らせる時に悲しくなる。
ブログを書こうとしても、明日は仕事だからとあきらめる自分に情けなくなる。
アニメを見ようと思っても明日のために寝ておこうと思って諦める。
仕事が楽しくなくて、日々の生活を人質にとられて仕方なく仕事して,空いている時間に趣味に興じて生きている人はきっと大勢いるとは思う。 それで満足している人も多いだろう。
もしくは、仕事があるだけありがたい、仕事して旨いもの食って寝るだけで一生満足だという人からすれば、僕の苦しみなんてのはただの贅沢病なのだろう。
だが、今の社会は物が溢れ、人が溢れ、合理化、効率化が進んでいる。
生産量が足りないなら、生産量を増やす仕組みが生まれ。
生産にかかるコストが高いならコストを下げる仕組みが生まれる。
利益があがらないなら、利益があがるように仕組みをつくりなおす。
そうなると、利益を享受できる人とまったく利益をえれない人の格差が広がり続ける。
利益を得れる人は他人が欲しがるものを大量に占有できる人だ。
その次がそのお零れに授かれる人であり。
その下はさらにそのお零れをすする人である。
その階層構造がこの先もどんどん多くなるのだろう。 もしくは、階層が少なくなって、その層の壁が分厚くなるのかもしれないけども、お零れをすすって生きていると自覚して生きていると・・・・・・。
お零れを啜る人生なんて自覚すると、やはり息苦しく感じるものだ。
だから、なんとかしないといけないと思う人はよくいるだろう。
僕もそのうちの一人だと思う。
あああ、会社辞めたい・・・・・・。
このような理由で貴方は会社を辞めたいと思ってはいませんか?
僕はそうです。
以上
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会社辞めたいとは?)
僕が会社辞めたいのは自分の自由な時間がもっと欲しいからであり、辞めれないのはお金欲しいからであるという当たり前過ぎる理由である。
だから救えない。
いや、違うな。
僕は快楽よりも辛いことや、しんどいことを避けたい人なのだろう。 その場の快楽よりも確実にくる辛さやしんどさをどうやったら回避できるだろうと考えるからこそ、どんどん無茶や無理をしなくなっているのだろう。
しかし、無茶や無理をしなければ到達できない次元ってのがあると僕は思う。その到達点にこそ至福が待っているとたまに考えることがある。
しかし、その保障はどこにもない。
無茶や無理をした結果が不幸であったらなら目もあてられない。
だから、無茶せず無理せずに日々平穏に生きるしかないのだろうか?
それを考えると、また虚しくなるのである。
畜生! 絶対辞表出してやる!!!