ねここねの思考手記

主にアニメ系 漫画系 らのべ系のサブカル系が中心です

怒りの正体とは不快感の表明であり周囲に対する要望であり要求なのであります。

 生きていればムカつくことはあるでしょう。怒る感情というものを得た時に叫びたくなったり、何かを破壊したくなったり暴力に訴える人も珍しくありません。

 

 怒りの感情が何故、暴力的でったりバイオレンスな展開に繋がるのか?

 

 そういうことに思いを巡らせることがたまにあるのですよ。

 

 んで、結論からいうと、自分の身に起きている状況が気に入らない。それに対しての他者へのアピールなんですよね。不愉快だったり辛い状況を他人に伝えるために怒りの感情があるわですよ。もっと突き詰めると。自分の生存が脅かされる状況が怒りを発生させるトリガーというわけですよ。

 

 なので、怒りの感情が発生したらそれは自己の生存によって不都合な状況であることが多いのだから人はその怒りを元に現状の解決を得るためにバイオレスになるわけです。

 

 しかし、それはあくまで本能的なお話です。現代は怒りを理由に暴力で解決する手段は犯罪行為であり。不利益になることが多いです。まあ、ばれなければ、相手を殺したり殴ったりして、口をふさいで解決する反社会的な道もありますが。

 

 そういう社会はやはり生きずらいので困るので、できるだけ怒らないように、ストレスがたまらないように穏やかに生きるのびる戦略が必要なんだなぁーと思うのです。

 

 だけど、怒りの感情を得たときは、相手に上手に説明して理解を得られるような技術はもっていると怒りの感情を溜める展開が減ります。

 

 なので、怒りの感情を得たときは相手にきっちりと説明できるように。

 今は私はこれこれこういう理由で怒っているのですときっちりはっきり説明できるような人間になりたいものである。

 

 怒りを我慢するより、その怒りの理由を簡潔明瞭に説明できる人間でありたいなと思う私です。

 

                                以上!

怒りという名前の精神の話。

 

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 労働者という身分でいると常々思う。支配階級死ね。金持ち死ね。資本家死ね。労働者から搾取ばっかりしやがって本当に許せないという怒りの感情である。

 目には目を歯には歯を搾取には搾取で返せというハンムラビ法典通り労働者を搾取する金持ち連中を搾取し返して労働者として支配してやりたい! そうすれば少しは自分の溜飲が下がるのではないだろうか? そんなことを悶々として思う日々である。

 

 労働者は常に怒りを抱いているのではないか? そんなことを感じる昨今です。

 

 労働者でも辛い立場にいない人間や、ストレス度の低い職業、自分が好む職業について満足な報酬を得られている人間にそういった怒りはあまりないかもしれない。

 

 しかし、そうでない労働者。お金のために、生活費を捻出するために仕方なく身体を酷使したり、自分の生命活動の時間を消費してわずかな金銭を稼ぐ労働者は常に怒りや不満を内包しているのではないかと思うのです。隙あらば金持ちをやっつけたい。そんな思い抱く底辺労働者は多い。

 

 何故そう思うか? それは労働者が常に金持ちから搾取されているからである。

 

 労働者の労働の稼ぎから上前をはねて金持ちがより金持ちになるということが世界的にも周知の事実だからである。あらゆる企業が資本家が労働者から富を吸い上げる。無論、労働者からの不満はでる。しかし、不満だからいって金持ちをぶっ殺すなんてこともできない。

 

 それは何故か? そんなことしたら警察や治安維持機構か黙ってない。法律の名の下に労働者は資本家をぶっ殺せない。もしも、ぶっ殺そうものならその労働者は犯罪者として逮捕拘束されしょっぴかれることだろう。法律も警察もいない状態なら支配者階級なんて常にぶっ殺される対象だからである。それは歴史が証明しているところだろう。

 

 しかし、権力者や金持ち共はそういった労働者の反乱を防ぐ方法を常にアップデートしてきた。そして、今の現代まで辿りつく。現代は労働者が上に暴力をちらつかせて反逆できるようにはできてない。気に入らない金持ちの一人や二人は自爆でいいいならやれないこともないが、そいつをぶっ殺しても自分自身は幸せにはなれない。その程度に労働者は賢くなってしまっている。

 

 そうだ! 現代の労働者は愚かであり賢くもある。わずかな幸せや自身の生存存続のために苦役を味わいながらでもむやみやたら金持ちどもぶっ殺したりしない。たとえ、自分の人生の半分以上の時間を労働に捧げて金持ちの金を増やす道具として扱われて怒りすら覚えてもその怒りは支配者共にたいして発散されない。

 

 労働者の怒りの狂気は金持ちどもに届かない。その程度の洗脳に近い教育は労働者にほどこされているのが現代人である。

 

 はあ。。。 許せぬ。 金持ちが許せねぇ。ぶっ殺したい! と思ってもそんなことをしても自分が幸せなれるビジョンが見えないのである。そんなことしてる暇があったらすこしでも、自分の人生をよりよいものにする努力をするべきである。そういう思考に切り替えて現実と折り合いをつけて日々の生活を過ごすのみである。

 

 それは、つらいはな。まさに無限地獄のような人生である。とくに生活費のために労働を強いられる労働者はそうである。そして、現状を打開して労働者という階級から脱却して金持ちの仲間入りしたいのである。 しかし、思えばそう簡単に叶うものでもない。思い焦がれるが現実にそうなる努力をする厄介である。行動することは難しい。

 

 何故なのか? 自分がなりたいものになるために努力や行動を起こすことが何故難しいのか? それは何故だろうな。人間 着るものがあり、住むとこがあり、食べ物が食べれるならそこまで無理に頑張ろうという努力をしない人間のほうが多いのかもしれないな。それすら満足にそろわない人間は生きることに必死でそれどころではないし。

 もっと良いものを得ようという努力や、労働せずに衣食住を永続的に手にしたいと思わないでもないが、それを得るための努力よりも日々のささやかな時間でも怠惰な生活のほうが甘美な魅力があるのかもしれない。

 

 しかし、お金のために強制的に労働を強いられる状態は辛い。労働している時は常に金持ち死ねと心の底から思って労働している労働者は多い。常に拳銃のトリガーに指はかかったままで仕事している人もいるだろう。重機を運転しながら偉い人が視察にきたときに、これをつっこませてぶっ殺したいと思う人もいるかもしれない。しかし、そんなことはなかなか起こらない。そんなことしても現実的に誰も幸せにならないから。

 

 金持ちを一人ぶっ殺すたびに、労働者が生活費を稼ぐために労働をすることなく優雅に暮らせる世界が近づくなら労働者は金持ちをぶっ殺しまくるのかもしれない。しかし、世界はそうできていない。金持ちをぶっ殺すたびに労働者はより金持ち連中からより金持ちを殺したら不幸になるぞというシステムが構築されるだろう。まあ、戦争でもおこして金持ち側をいっきにぶっ殺してその立場をのっとれたらのっとりに成功した奴等は支配者側になれるんだろうが。現代社会ではそういう暴力によるのっとりもあまり賛否されないね。もうそういう時代じゃない。

 

 なら、日々の生活に労働する怒りあふれる労働者はどうすればいいか?

 

 諦めて、寿命が尽きるまで搾取されてよぼよぼになって死ぬのが一般的である。支配者側もそれを一番に望むであろう。

 

 一念発起して支配者側になれる努力をする。叶うかどうかはわからんが努力するというのもいいだろう。夢破れて途中で寿命がきても最後まで頑張れたならそれはそれでいいのかもしれない。

 

 やけくそなって金持ちに自爆テロをしかけるというのもあるが、自分が死んだらやはり意味がないので、誰にもばれずに貧困層を金持ちにぶつけて気に入らない金持ちをやっつけるという手もあるが。それはそれでリスキーだ。殺人の示唆は大罪であるし、金持ちが死んでもその金は殺した人間に入ることもあまりない。

 

 じゃあ、他にどうすればいい?

 とくに思いつかないのが私である。

 そして、その他の答えを常に考えているそれが私である。

 

 

 

 

親ガチャ当たり外れはあるのかもしれないけど、それこそどうしようもない事実なのでその現状をどう変えていくかしかない

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 親ガチャ外れたし駄目だわ。容姿も教育も人脈も親が与えてくれるものであり、恵まれない親の子供に生まれたら人生は敗色濃厚でやる気もでない。だけども、死ぬわけにもいかんわな。羨ましい家に生まれた人間を恨み一発かましたとしても、犯罪者となり地獄に落ちるわけですし。それなら、奴隷のように働くより、勉強してどうにかして奴隷を管理できるようなポジションにつくほうがまだましだ。とか、なにかしら努力して有名になりユーチューバーという道もあるかもしれない。

 

 親ガチャ。お金持ちの家に生まれるかどうか? これが人生の幸せにおける確率を高めるという統計データは昔からあるわけで。それは否定のしようもない事実であるのはしょうがないことです。生まれが納得いかないから納得いかない人生を送ることになると決め付けて生きるくらならとっとと人生を終わりにするという選択肢もありますが、普通に死の恐怖は超越するなんて超人的な真似は普通の人できないわけです。

 

 納得しようが、しまいが。現状生きているわけで生きていくしかないわけです。何時か死ぬかは分かりませんが、その日までだらだらでも、嫉妬のホノウを燃やして生きてもそれはそれで死ねば無です。死んだら終わりだから好きに生きればよいし、親ガチャが外れだーと思いながら無念の死を迎えるか、親ガチャ外れやたったけど俺は私はある程度は頑張ったな満足だと思える人生にするかどうかはまさに自分次第でしょう。

 

 結局は人生どんなめにあっても開き直って前向きなってなにかしら幸せになれるように行動しないと辛いなだけなのです。そう言い聞かせて一日一日を凌いでゆっくりと枯れて朽ち果てるというのが大半の人の人生なのではないかと思います。

 

 むしろ、親ガチャ外れだし、後ろ向きになってなんにもしない、やる気もない。羨ましいしむかつくから他人の足を引張りったり、資産家の家を襲撃して強盗殺人を犯すような人生がお望みですか? そんな人生を送る人達もいるにはいますが。それはそれで無茶苦茶な人生であり幸せな人生とは言えないと思うわけです。

 

 じゃあ、親ガチャ外れたけど、どうすれば幸せになれるのかって話しですが。

 そんなのしるわけないじゃん。

 それが唯一の答えなんじゃないかなーとこの年になっても私は思うわけです。

 

 どんな生き方をしようと、最後は死ぬわけで。死んだらその先のことなんて誰も知らないしどうなるかもわからんのだから。それだったらもういっそ開き直って人生を楽しむために生きる! しかし、この世は生きるために楽しむためにお金が必要でそのために苦労する人、そうでない人が分かれるわけです。

 

 だから、親ガチャがはずれだ! 貧乏な家に生まれた、親が酷い虐待をすると、いった家庭環境に恵まれず育った人はこの世を楽しむことが困難であることは事実です。そこは悲観するしかないでしょう。しかし、それでも開き直って前向きに自分にとって必要なお金を得る努力をした人間は結構楽しい人生を送ることができます。

 

 なので、親ガチャに外れたとしても、自分にとって必要な金銭を得る手段を確立すればそれなりの幸せは待っています。なので、その努力するべきです。とりあえず、守銭奴になれば個人的には幸せになれます。むしろ、守銭奴な人間で幸せでない人間はあまりしらない。お金を稼ぐが得意でなおかつ、お金を使うを渋る人間。こういった人間は基本、頭もよく使うので頭も良くなるし、お金の使い道を良く考えて使うのでお金に困ることが少ないです。なので確立的に幸せになれるでしょう。

 

 なので、親ガチャに外れたなと思う人はしょうがねーと開き直って守銭奴を目指せばいいのです。それで解決! 

 

                 エニュウェイ

 

 

人は何故に自殺するのか? 人は何故に他人を殺すのか? 人は何故そこまでして生きていたいのか?

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 ここ最近、人の生死というものに気がいってる私なのです。人が死んだり、生きたりというのは日常であり非日常であり、人類永遠のエンターテイメントみたいなもんですから、そういうことが気になる日もありますが、まあ、そういうことをじっくり考えるのは暇人と相場は決まっています。というわけで私も暇人なわけですが、それでも人間が生きたり死んだりというのを考える日々というのもなかなか面白い。なわけで、適当に考えたり調べたことを記録に残しておこうかなと思います。

 

 まず、人はなぜ自殺するのかな? という話

 これは結構単純で、その人が生きる苦痛に耐えれないので自分で強制的に自分の命を絶つというだけの話です。実際、死ぬための行動なんて本当に簡単です。誰もこない場所で頑丈なロープを使い高いところから首を吊ってしまえば10分もすれば完全に死んでしまいます。死の恐怖や拒絶感というものを生きる苦痛が上回りさえすれば実行可能なのでしょう。一般的には死の恐怖を超えるような状態になるのは難しいとされていますが、まあ、なかには、自死する側の心情や精神状態は他人が推し量るのは難しいです。

 

 身体は健康でも長く生きすぎて生活の質が落ちてきたので大金払ってスイスで死ぬわっていう100歳を超える老人がいたり、30歳そこらでこれ以上、お金の奴隷であり続けることが嫌でこのまま働き続けるくらいなら首を吊るという人がいたりもしますし、10代で若くて進学校に通っていて現状が辛くて飛び降りて死んでしまう人もいます。

 

 理由は人それぞれ、様々ですが共通している点は現状の不満を自分で解決できない、もしくは折り合いをつけて諦めて生活することができない、我慢できないという点でしょうかね。まあ、我侭の極みとも言えるし、いえなくもない。ただ、自殺を望んで無事に自殺できた人は目的を最後に完遂できたのだから、それそれで本人とっては良かったということになるのでしょう。残された遺族や死体の後始末をする人達にとってはまた違いますが、当人からしたら自殺したくて自殺が成功するのだから、なんともそれは天晴れなことなんじゃないかなと私は結論に達しました。

 

 なので、人はなぜ自殺するのかという問いに対しては、その人の人生目的が生きることよりも死ぬことのほうが価値があるというふうに価値観が変動した結果が自殺ということになる。それだけのことなのであんまり特別な概念ではないなと思うに至りました。 なので人は何故に自殺するかなんてことは私のなかで一様の解決は見えました。

 

 そしたら、次に気になるのは、人はなぜ他人を殺したりすることができるのか?

 殺人を犯してしまう心理というか神経というか。そういうのも気にもなりますが、まあ、結局は殺人する気持ちなんてのは、事故とか殺そうと思って殺したとかいう殺意のないものはおいておき、相手を殺したいなんて、殺してでも欲しい物を相手が持っていたり、相手を殺さないとその人にとって不都合だからということぐらいしかなくて、後、快楽殺人者というとにかく人を殺すのが大好きで趣味な人も世にいるようですが、そういう趣味の人はそういう趣味の変わった人間というだけであって大きな概念として人が人を殺す理由としてのサンプルにはするには別問題かなとも感じます。単純にいえば、人が他人を殺せる理由は他人に致死的な打撃を加えても自分の肉体は一切傷を負わないからでしょう。相手に物理的にダメージを与えたら反射で防ぎようもなく同じダメージが帰ってくるようなフィクションのような世界なら、かなり殺人は躊躇される世界になるでしょう。なので、人が何故に他人を殺せるのかといえば、殺しても自分は痛くもかゆくもないからという結論に達した私です。浅いなw まあ、それ以上考えても意味も面白みもないので考えるのを辞めたといってもいいですかな。

 

 そして、最後に気になったのは人は何故そこまでして生きたいのかという問いでした。

 個人的には誰だって死にたくない、美男美女とセックスしたいし、美味しい物をお腹いっぱい食べたいし、身体を自由に動かしたいし、眠い時に寝たい。死ぬなんて真っ平ごめんですと私は思うのです。

 なので、生きていたいなんてのは当たり前で、どれくらい生きていたいかという度数は人それぞれですが、生きていたい度数というのは体調や環境が原因で触れ幅が大きく、その生きていたい度数をあげるのは、生きていて何かやりたいことがあるということが一番なのかなと月並みに思うのです。

 

 人は自分が思う程に幸福でも不幸ではなく、大切なのは望んだり、生きたりすることに飽きないことだと偉い人は言いいます。私もそう思います。 

 

 まあ、長い人生、生きるの飽きちゃったなぁー あはは! なんて日もあるかもですが、飽きない工夫と努力で今日も楽しく生きていきましょう!

 

 なんて思う 土曜日の朝でした。

 

電車に乗って刃物で暴れてサラダ油で火をつけようとするなんて誰でも出来るけども凄いレベルで頭が悪過ぎる行動だから誰もやらないはずなのに。やる奴がいるんやな

 

 

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 電車で刃傷サラダ油男こと、対馬悠介容疑者。この後、起訴されて被告になり、受刑者に確実にクラスチェンジすることは確実なわけですが。まあ、個人的にはオリンピックなんかより、よっぽど考えさせれる出来事であり事件だったと思う今日この頃です。

 

 もしも、悪のオリンピック選手権というものがあったとしても予選落ちするレベルの頭の悪い上にやられた側はとんでもない脅威であり対策の難しい犯罪ではあるというのは通常の思考能力があればだれでも分かることとは思います。

 

 誰だって電車の中で刃物を振り回して刃傷沙汰なんて普通はやんないです、常識的に考えても、そんなことしてなんになるんだい? でも、やろうと思えば誰だって家の台所から包丁を持ち出して電車にのり振り回すことができてしまうというのも事実。

 

 だけども、実際に行動を起こせる人間がいる。国家とは人の群れです。人の群れで暮らすさいのルールとして自分は他人を包丁を持って危害を加えないし、加えられないはずという暗黙の信頼よって群れは成立します。私は法律云々のレベルよりも上位にあるセーフティロック的な思考というものが人間の群れにはある一定数あると思うんです。

 

 だけども、そういった自分へのセーフティロックと他人へのセーフティーロックが曖昧になって壊れてしまう人ってのがどうしてもでてきてしまう。そういう意味で今回の電車刃傷サラダ油男事件はかなり壊れていると思う。

 

 そりゃあ、他人を羨んだり、嫉妬したり、憎んだりなんてのは基本的な人間の感情であり、本能でもあるんだけども、もしも、その感情が爆発して突発的に発生する事件というわけでもなく、きちんと包丁とサラダ油を携帯して電車にのり事を起こすという冷静に暴走する刃傷サラダ油男はとてもじゃないが壊れている。

 

だって、電車に乗って刃物で暴れてサラダ油で火をつけようとするなんて誰でも出来るけども凄いレベルで頭が悪過ぎる行動だから誰もやらないはずなのに。

 

 基本的に犯罪になる行為ってのは今の現状の自分の状態よりも悪くなることのほうが多い。ただ、日本の刑務所の待遇はそこまで悪いものじゃないらしい。衛生的だし規則正しいし、医療だって受けられる。そう考えると華々しく馬鹿すぎるくらいの刑事事件を起こして刑務所のぶち込まれたいと考えたのかもしれない。現状の自分の状態と刑務所にいる状態を想像したり比べた結果がこういう行動を生んだのかもしれない。

 

 だとしても、酷いね。酷すぎる。酷く頭がおかしい。だけども、一方でこんな滅茶苦茶な事ができてしまえる希少な人間だともいえるし、今の社会状態がこういう人間を生み出したとも言える。今回の電車刃傷サラダ油男こと対馬悠介容疑者は学業もわりとできたほうらしい。人と普通に会話する知能も知識もあったようだけども、社会的にはうまく折り合いをつけて生きていけなかったようだ。

 

 ほとんどの、人間は年をとりながらどうにか社会と折り合いをつけて生きていくことを選択しなければならない。それが出来ない人間は自殺したりもするが。ときおりそんな自殺待ちの枠からどうせ死ぬならと犯罪者となり周辺の無関係な人間に被害を与えてこの世を去る選択をしたいけども刑務所で第二の人生を送るという人間もいたいりするのかもしれない。

 

 ただ、まあ貧富の差や格差が広がれば広がるほどに、最下層や最下層にに近い人間はこういう犯罪や間違いを犯すようにはなると思う。

 

 愚かな犯罪は貧富の差や格差が増えていけばいくほどに増えて日常化して社会問題になって加速する流れができると私は思うが、この日本社会は怠け者は富裕層と金持ちにしか人権を与えない社会なので貧乏な怠け者に待ち受けているのは緩やかな消耗による死か自滅しかないのだろうなと思う今日この頃でした。

 

 悲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人は何故ホームレスを救わないのか?

 

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 最近めっきり寒くなってきました。今年はコロナ、鬼滅という日本柱の話題ばかりの1年だったようなそんな気がします。まあ、そんなことはどうあれ生きてる限り人生は無限に続くわけでして、死ぬまで終わらないわけです。

 

 そんなことを思っていながら都会の夜を徘徊していると、ホームレスが公園で寝てたり、高架下で転がっているのを目撃したりします。そういう人達を見て思うのは「こんな寒空で雨が降ったりしている中とても可哀想ではないか! 何故は私は彼、彼女達を助けようとしないのだろうか?」

 

 そういうことを思うのであるが、そういうことへの結論は私的にあとっくに到達しているのである、「私がホームレスを助けたり、援助したりしても私自身になんたの為にもならないから!」そういう思考的結論に達するからである。

 

 極論だけども生物は自分の為になることを取捨選択して生きているといってもいいだろう。コロナでマスクなんて必要ないと思っても、マスクしてないことでいらぬ因縁をふっかけてきたりする輩がいたりするからマスクはするし、コロナなんてインフルエンザよりしょぼいだろうと思っていても、とりあえず警戒しているふりしてないと、どこから攻撃されるか分からんのでとりあえず警戒してるふりをしたりする。

 

 コロナがやばいならホームレスの生活環境は最悪だし不衛生だし路上生活なんてしてたら即終わるだろうと思ってしまったりするわけで、外だからウィルスの感染リスクが低いのかしらんけども、どうでもいいんだけども。

 

 人は寒くてお腹が減っていたりすると、どんどん体調を悪くします。雪山で遭難して食料もなければすぐに死にます。身体は冷えると生物学上身体の能力は下がり免疫も下がり、栄養が補給されないと健康は勿論ながら損なわれてやがて死に至ります。そんなことはだれもで知ってる知識でしょう。

 

 路上生活者は基本、この時期辛いでしょう、飢えて、寒くて死んでしまう人もいるでしょう。そういう死体をかたずけるける公僕の方も大変ですが、路上生活の末死んでしまう人は私の感覚かれすると、とても不幸に思えてなりません。

 

 しかし、私はそういう路上生活者を救おうだとか小銭を恵んであげて少しでもいいから延命する手助けをしようとしません。人が困っていたり、困窮していたりしたら助け合おうという考え方がないのだろうか? そういうことを思ってしまいますが、そういうわけではないのです、私が路上生活者を助けるために一方的に動くというのは単純に荷物を抱える行為に過ぎないからです。しかも、自分に為にならないっぽい荷物の抱え方です。 だから救わないのです。

 

 仮に、もしも路上生活者に話しかけて何処かに送り届けたらお礼として1万をあげるというルールがあるなら喜んでやるのでしょうがね。そういうルールはないので私が路上生活者を助けることはないわけです。悲しいですがこれが現実です。

 

 自分を食べさせていくだけで大変な私には路上生活者を救うなんてことは無理わけです、ほぼ自分の行動は自分の為になるであろう行動を行ってしまう中で、ホームレスに割ける割合のリソースは私にはないのです。だから助けることをしません。

 

 しかし、世の中には奇特な集団だったり個人もいたりします、炊き出しなり、なんなりしてホームレスに衣と食を住を提供する団体はあります。

 

www.homedoor.org

 

 私はこういう場所で再起をはかりたい路上生活者の人がいたりするけどもその存在も知らなくて路上で死んでいく人達がいると思うとですね、ホームレスを発見したらとりあえず声をかけて「ホームレスを救済するシステムがありますよ! どうですか?」と、一声かけてあげるくらいコストの人助けぐらいしてもいいんじゃないかな? と、思ったりするのですが、それもやらない。それをやる時間も機会も何度もあるというに、やらないのです。

 

 これは、もはや私は本格的に心が死んでいる。冷たい人間なのかもしれません。そういうことを考えているという時点で、まだマシな人間であり、そういうことも問題として認識してない人間からすればまだ、死んでないのかもしれんが。それでも結果的に行動しなければ路上生活者は救われません。

 

 そして、結局は路上生活者を救うような人間は少数派であり、マスクをつけないで生活をする人達と同じくらい少数派なんですね。

 

 そこで気づくわけです、ホームレスを人が救わない本当の理由は、ホームレスを助ける人はとても少数派であるからであり、ホームレスを救わない現状でも自分の生活がなんら脅かされることが少ないからであるという現実が今の現実を作り出しているということなんだなと私は思うわけです。

 

 悲しいですがこれが現実でした。

 

 私としては自分だってお金を稼ぐことができなくって、生活保護とかの申請とかも通らなかたったり、なんらかの救済を受けれない状態になってホームレスになってしまう可能性はあるわけですが、そのときに自分が救われないのは、自分がホームレスを救わなかったから当然である仕方ないと諦めて死ぬことになるのだろうか? そんなことを考えたりします。

 

 ですが、それはそうならないと本当に分からない仮定だし、私としては路上生活に陥るまでに、ありとあらゆる手段でがんばってみようとは今は思っているので、結局はホームレスの人を見かけても救わない現状が今のスタンスであると納得するのでした。

 

 でも、この糞寒いなかで、公園で毛布にくるまって寝ている人達をみると「なんとかしてあげたい! 可哀想であだな!」こう思う気持ちは自分がそうなったら、助けて欲しい、救って欲しいという将来的な反射予測からくる防衛本能がそういう感覚を呼んでいるのでないかと推察した次第です。

 

 なので、結局は私人間は自分の為にならぬことしか思考することも、行動することもないのだと思うに至ります。

 

 悲しいです・・・・・・。

 

 

 

 

コロナを怖がる阿呆に怖がらないアホウ、同じアホなら。。。

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 最近、アホだなーというか、アホウだなーというか、とにもかくにもシャッキリしないコロナウィルスのお話。

 

 コロナの何がやばいのってお話はつまるところ、コロナに罹ったら死んでしまうかもしれないですよって話です。しかしだね。コロナでなくとも普通の風邪でも年間、何万人も死んでるし、違う病気でもいっぱい死んでる。自殺だけでも、何万人死んでるんだよこの国は! コロナに警戒を割いて、自分の生存確率がどれくいあがるのだ?

 

 そう、結局のところ、コロナの対策をしている人、してない人、警戒が甘い人はコロナで死んでしまう確立はどの程度だよ! そこがはっきりしない。調べようにも統計やデータなんて正確なものはなかなか簡単には用意できない。作為的な公的なデータばっかりで信憑性のあるデータなんて、なかなかまわってこない。データを作る段階でこうなる結果にもっていってほしいという感じでデータを作る仕事するあるんだからな!

 

 困ったもんだ。

 

 結局のところもうこれは究極のアホウな状態なんだ。

 なにがアホウかって、コロナで死んじゃったら負けで、コロナに罹ろうがとりあえず生き延びれば勝ちっていうそういうアホウな状態それがいまの状態。

 

 結局、コロナで経済的に追い詰められて死んでもアホウだし、罹って死んでもアホウなわけだ。

 

 コロナが流行ってるというこの状況だけども、したたかにコロナの状況に負けずに、活かして、コロナの状況を利用して浮き上がれる人間、現状を維持できる人間、そして生き延びていける人間だけが、唯一の正解なのである。

 

 なので、周囲のアホウがなにを言おうが自分の信じる道を行くべきなんですよ!

 それで生き残れば そいつは少なくともアホウではない!

 

 とりあえず、アホウに騙されて死ぬのが一番アホウで屈辱的なことはないので、そうならないように生きていきたいなぁー。

 

 こういう記事を読んだせいで久々にブログ書いてもうたw

 すばらしいね。

 ↓

note.com

 

 

 

夢なんですという邪悪な目標

 

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 弁護士になるのが夢です

 歌手になって多くの人を感動させるのが夢です

 声優になってプリキュアに出演するのが夢です

 沢山の人を一箇所に集めて大量に殺すのが夢です。

 

 人の描く夢って種類が沢山あってややこしいね!

 そんなことをよく思います。

 

 夢っていうけども、目標であったり叶えたい願い毎なわけでして、願望なわけで、努力したり、行動した結果。叶う物もあればそうでないものもあるわけです。

 

 ようするに、願い毎が叶う状態が夢が叶ったというわけでして。

 弁護士になるのが夢な人は、すでにその夢を叶えている先人がいるわけで

 歌手にしかり、声優にしかり、殺人犯しかり、先人はいるわけです。

 

 夢を叶えた先人はいっぱいいるわけです。

 

 ただね、なんかいっつも思うんですよ。

 

 「夢なんです!」

 

 これってなんか、きもいな! って。

 願いごと、叶えたいこと、達成したいことを語る人ってなんかきもいんですよ。

 なんだろうな。なんかね。夢だといって努力した結果、夢が叶ったらそれは美談だみたいな風潮があるからかもしれない。美談わけないのに。

 

 ただ単に、そいつの夢が、自尊心とか欲望が叶っただけじゃん。

      時間をかけた自分のオナニーでイッタだけじゃん!

      それだけのことだと思うんですよ!

 

 しかも、個人的に誰かの夢が叶ったりしたとき、その背景、その瞬間に誰かの夢や何かが犠牲になったり砕けたりするはずなんです。

 

 何かの犠牲もなしには何も為しえないと私はついつい思ってしまうのですよ。

 なので、なんとなーく。夢なんです! とか無邪気にほざく輩やナレーションが私は大嫌いで虫唾がはしる。

 

 でも、人は夢を見る、寝てみる夢は結構好き。

 でも、他人の語る、虚栄心と自尊心の塊のような願望のような夢は嫌いだわ。

 なぜなら、きもいから!

 

 他人のオナニーなんてきもくてみてられないこんな私ですが

 世間の大多数は他人のテクニカルなオナニーをみて感動をありがとう!

 とか言うんですよ。

 

 うわー きもい!

 

 以上

 

 

胸が大きいことがコンプレックスな女の子がグラビアアイドルに憧れる話 を読んでもやっとしたので。。。。

togetter.com

 

胸が大きいことがコンプレックスな女の子がグラビアアイドルに憧れる話

 

たまたま、この漫画を少しもやっとしたので感想を!

 

なんかこの話おかしい!

それが私の第一印象である。

胸がコンプレックスなのにグラビアアイドルの巨乳を見て憧れるというのがまず意味がわからん。
グラビアアイドルは嫌悪の対象になるんじゃね?

この主人公が胸がでかいのコンレックスで、コンプレックスの原因となる要因が 
男子からのスケベな視線と母親からの性的なことにたいする教育が根底にあるというならば
それがグラビアアイドルに憧れるというのは少し違う気がするんだよね。

まあ、この主人公に自分の胸以上に 他者から認められたい、好かれたい、尊敬されたい、認知されたいという満たされない自己承認欲求があるから、そのいいわけとしてグラビアアイドルはカッコイイィ、そして同じく私も胸が大きいので、同じことをすれば、その憧れる立場に近づけるのではと錯覚を抱くのはわからんでもない。

 

ようするに、この主人公は自分の胸がでかいことを活かせる場所を最初から探していたのである。ついでの、自分が世界からもっと愛されていいはず、と自分の価値をもっと高めてくれる機会を探していただけである。

 

そして、それが適うなら、胸がでかくて男共から好色な目でみられようが、母からなんと言われようがまったく問題にしないということなんではないかなと
今は理解にいたる。

 

ようするに、主人公は 胸が大きくて個人的に苦労してるだけど、それにたいしてどうにか改善できたらなとずっと思っていた。そして、それはグラビアアイドルになれば解決できると思い込んだ、そして見事にグラビアアイドルになれた! そして、そのグラビアをみた、違う巨乳の女子高生がそれにまた、憧れるというお話なんですね。

 

 グラビアアイドルが性的に搾取されてるだどうだ、良い仕事なのか悪い仕事なのかどうかなんてことは、この漫画は問うてないわけです。単純に主人公が自分の特性を活かした仕事について、それを見た同じ特性を持つ人間がまた憧れたというだけであって、それ以上でも以下でもないと私はだんずる。

 

なので、考えてみるとあんまりもやっとしないお話だった。

いい話かどうかは議論の余地はあるとは思うがね!

 

ちゃんちゃん

コロナウィルスで感染者を何故隔離するのか。。。

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 適当に思ったことです。

 ウィルスに感染したとします。空気感染するようなウィルス。人から人に感染して増殖するウィルス。密閉空間に30人くらい人がいて1人でも感染してる人がいるならば、一気にウィルスは30人全員にしっかり感染した場合。その密閉空間のウィルスの密度は凄くなりそうですね。

 

 人から人に感染して移ることでどんどんウィルスが増殖していくわけですね。

 そんなのは、季節風のインフルエンザもコロナも一緒。風邪症候群の中のウィルスの一つに過ぎないのでコロナだけ警戒するってかって話ですよ。

 

 インフルエンザウィルス、その他の風邪症候群ウィルスは抗体を持ってる人が多くいたり、薬があったりする。コロナには一様ながらアビガンが効くらしいが妊婦には仕えないとかどうとか。ふむ。

 

 他の風邪のウィルスに比べて感染して免疫が負けてしまうと、それに対する対処療法がいまいちなので、死んでしまう確立が通常よりも高い病気なんですよね。つまり、免疫に能力に問題のある人。遺伝的に免疫が弱い人、基礎疾患を抱えてる人。なんかコロナでばたっと行くとそのまま逝ってしまうのでやばいよねって話です。

 

 なので、空気感染してしまうウィルスだけども、できるだけ人から人に移してその量を増やさないように隔離するという手段をとらざる得ないだろうけども。それがうまくいかないわけです。

 

 何故なら、感染しても元気な人も沢山いるし、自覚症状もない人いっぱいるわけです。自分が感染して病気になって当事者としてしんどい思いをしないと人は行動改めることは難しいです。むしろ、感染して死んでしまうのは免疫が弱い責任であるという考えの人すらいるかもしれませんね。

 

 だがね、この地球上からコロナウィルスを撲滅ってインフルエンザとか風邪を撲滅することができるのか?って話ですよ。なかなか難しい。なんせ、感染して菌を保有してるかもしれない人は今も爆発的に増えているわけです。

 

 なので、重要なのは感染しても治せる病気として扱えることが重要なんですが、なかなかそれが難しいし、時間を必要とするわけですね。そして、時間が稼ぎの間にできるだけ人が死なないようにできる対策は、感染拡大を防ぐための引きこもり提案なわけですね。

 

 今の状況だと、コロナに感染したら死んでしまう人が結構数がいるので感染拡大=死傷者が増える。でも、人間は死ぬ時は死んでしまうので。コロナに殺されるか貧困に殺されるか、刺されて殺されるか、先のことは分かりませんです。

 

 でも、コロナを人に移したから人殺しとはならないので、嫌な奴がいたらコロナにかかって積極的に移しにいって復讐に有効利用する奴とかいるんだろなぁーとか思うんですよね。

 

 そして、そのうち、コロナ殺人事件とか言われんのかねー。

 

 やだやだ。

 とか思う今日でした。